
聖徳太子
しょうとく たいし/574–622/古代・飛鳥奈良
話し合いを、国のきまりに書いた人
推古天皇のもとで政治にあたった皇族です。位を家柄でなく能力で分ける制度を整え、争いを避けて議論する心得を条文に残しました。
学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
知らないことを知らないと認め、外から取り入れる。その姿勢が残した言葉です。

しょうとく たいし/574–622/古代・飛鳥奈良
話し合いを、国のきまりに書いた人
推古天皇のもとで政治にあたった皇族です。位を家柄でなく能力で分ける制度を整え、争いを避けて議論する心得を条文に残しました。

くうかい/774–835/平安
学びを、誰にでも開こうとした人
唐で密教を学んで持ち帰り、真言宗を開いた僧です。書にも土木にも通じ、身分を問わず学べる学校を都に開くなど、宗教の外側の仕事も自分で引き受けました。




かいばら えきけん/1630–1714/江戸
健康の作法を、庶民の言葉で書いた人
福岡藩に仕えた学者です。動植物を調べて記録する一方、養生訓など、生活のしかたを平易な仮名まじり文で広く書きました。


もとおり のりなが/1730–1801/江戸
三十五年かけて古事記を読み解いた人
医業のかたわら古典を研究した国学者です。読めなくなっていた古事記に三十五年をかけて注釈をつけ、物のあはれという読み方を示しました。

すぎた げんぱく/1733–1817/江戸
辞書なしで、西洋の本を訳した人
オランダ語の解剖書を仲間と翻訳し『解体新書』として刊行した医師です。手がかりのない状態からの翻訳作業を後に記録に残しました。

いのう ただたか/1745–1818/江戸
五十歳から、日本を歩いて測った人
商家を隠居したあと天文学を学び直し、五十五歳から十七年かけて全国を測量した人物です。歩測と天体観測で日本全図をつくりました。



にのみや そんとく/1787–1856/江戸
小さな積み上げで、村を建て直した人
水害で没落した家を自力で再興し、その方法を各地の農村再建に応用した農政家です。数字にもとづく計画と、勤労・分度・推譲の教えを残しました。

おがた こうあん/1810–1863/幕末・維新
医は自分のためではないと書いた人
大坂で適塾を開いた蘭方医です。天然痘の予防に取り組み、医師の心得を訳して残しました。福沢諭吉ら多くの人材が学んでいます。

さくま しょうざん/1811–1864/幕末・維新
道徳は東洋、技術は西洋と言った人
松代藩の兵学者です。西洋の技術を学ぶことと東洋の道徳を保つことは両立すると説き、勝海舟や吉田松陰ら多くの志士を育てました。

かつ かいしゅう/1823–1899/幕末・維新
負ける側の、後始末をした人
幕府の海軍を育てた幕臣です。自分が仕える体制の敗北を早くから見通し、西郷隆盛との会談で江戸を戦火から救う道をまとめました。

よしだ しょういん/1830–1859/幕末・維新
二年足らずで、次の世代を育てた人
長州の兵学者です。密航に失敗して幽閉されたのち、松下村塾で教えた期間はごく短いものでしたが、そこから明治維新を動かす人が多く出ました。

ふくざわ ゆきち/1835–1901/明治
学ぶことを、独立の条件にした人
西洋の制度と考え方を紹介し、慶應義塾を開いた思想家です。身分ではなく学問が人の立場を決めると説き、その本は当時の大ベストセラーになりました。

しぶさわ えいいち/1840–1931/明治
日本資本主義の父
五百を超える会社の設立に関わった実業家です。もうけと道徳は両立すると説き、同時に六百近い社会事業にも生涯にわたって手を貸し続けました。

ひろおか あさこ/1849–1919/近現代の経営者
炭鉱に入り、銀行を興した人
両替商に嫁いだのち、自ら炭鉱と銀行の経営に乗り出した実業家です。晩年は女性が学べる場をつくることに力を注ぎました。

きたさと しばさぶろう/1853–1931/明治
治すより、防ぐを先に置いた医師
破傷風菌の純粋培養と血清療法に成功した細菌学者です。研究の場を自分で作り、日本の伝染病対策と医学教育の土台を築きました。

うちむら かんぞう/1861–1930/明治
後世に何を残すかを問うた人
教会に属さない信仰を説いた思想家です。教育勅語への敬礼をめぐって職を失い、開戦論が大勢を占めるなかで日露戦争にも反対し続けました。
まきの とみたろう/1862–1957/大正・昭和(文化・学術)
小学校を中退した植物学者
小学校を二年で中退し、独学で植物学を修めた学者です。新種や新変種を千五百以上命名し、精密な植物画もすべて自分で描き続けました。

にとべ いなぞう/1862–1933/明治
太平洋の橋になろうとした人
農学者であり教育者です。英語で『武士道』を著して日本の道徳観を外へ伝え、のちに国際連盟の事務次長として各国の調整にあたりました。

おかくら てんしん/1863–1913/明治
捨てられかけた日本美術を残した人
西洋化のなかで軽んじられた日本の美術を再評価し、美術学校を作った人です。英語で書いた『茶の本』は各国で読まれました。



まつした こうのすけ/1894–1989/近現代の経営者
物より先に、人を作ると言った人
町工場から世界的な電機メーカーを育てた経営者です。事業の目的を暮らしを豊かにすることに置き、人を育てる話を繰り返しました。
にしぼり えいざぶろう/1903–1989/大正・昭和(文化・学術)
石橋は叩いても渡れないと言った人
真空管の国産化や品質管理の普及に関わった技術者です。南極観測隊の第一次越冬隊長も務め、新しいことの始め方を書き残しました。
ゆかわ ひでき/1907–1981/大正・昭和(文化・学術)
日本人初のノーベル賞、その後に平和運動
中間子の存在を予言し、日本人として初めてノーベル賞を受けた物理学者です。受賞後は核兵器をなくす運動に長く関わり続けました。
いとかわ ひでお/1912–1999/大正・昭和(文化・学術)
長さ二十三センチから始めた宇宙開発
日本のロケット開発を始めた工学者です。戦闘機の設計から出発し、鉛筆ほどの小さなロケットを水平に発射する実験から宇宙への道を開きました。
おおの たいいち/1912–1990/大正・昭和(文化・学術)
なぜを五回、繰り返させた人
トヨタ生産方式をまとめた技術者です。現場に立って無駄を数え、原因を五回さかのぼって突き止める方法を定着させました。

むらさき しきぶ/生没年不詳/平安
人の心の動きを、初めて長編にした人
『源氏物語』を書いた作家です。恋や嫉妬、老いといった心の揺れを、五十四帖の長編として書ききり、日本語で書かれた文学の基準をつくりました。

よしだ けんこう/生没年不詳/鎌倉・室町
満開でないものを、良いと言った人
『徒然草』を書いた随筆家です。満開の花や曇りのない月より、欠けたものや途中のものに見どころがあるという見方を言葉にしました。