
進取
未知へ踏み出す
前例がないところへ、最初に足を踏み入れた人たちの言葉です。


一休宗純
いっきゅう そうじゅん/1394–1481/鎌倉・室町
建前を、笑いで崩した僧
権威や形式をきらい、規則から外れた振る舞いで知られる禅僧です。詩と狂歌で人の建前を突きながら、最晩年には焼けた大徳寺の再建を担いました。

織田信長
おだ のぶなが/1534–1582/戦国・安土桃山
古い仕組みを、壊してつくり直した人
尾張の一大名から天下統一の一歩手前まで進んだ武将です。市や関所のきまりを作り替え、鉄砲の運用や築城でも、前例のない手を先に試しました。

豊臣秀吉
とよとみ ひでよし/1537–1598/戦国・安土桃山
身分の壁を、自分でこえた人
尾張の農民の家から関白まで上がり、天下統一を成し遂げた武将です。検地と刀狩で社会のしくみを整えた一方、朝鮮出兵は大きな犠牲を生みました。

伊達政宗
だて まさむね/1567–1636/戦国・安土桃山
生まれるのが遅かった、と言われた大名
東北に大きな勢力を築いた大名です。天下統一に間に合わない時期に生まれ、その後は仙台の町づくりと海外への使節派遣に力を注ぎました。
近松門左衛門
ちかまつ もんざえもん/1653–1725/江戸
実際の事件を、その月に芝居にした人
人形浄瑠璃と歌舞伎の作者です。実際に起きた心中事件を短期間で舞台にかけ、庶民の暮らしと義理の板挟みを描きました。

杉田玄白
すぎた げんぱく/1733–1817/江戸
辞書なしで、西洋の本を訳した人
オランダ語の解剖書を仲間と翻訳し『解体新書』として刊行した医師です。手がかりのない状態からの翻訳作業を後に記録に残しました。

伊能忠敬
いのう ただたか/1745–1818/江戸
五十歳から、日本を歩いて測った人
商家を隠居したあと天文学を学び直し、五十五歳から十七年かけて全国を測量した人物です。歩測と天体観測で日本全図をつくりました。

田中久重
たなか ひさしげ/1799–1881/幕末・維新
からくり人形から蒸気機関まで作った人
からくり儀右衛門と呼ばれた発明家です。人形細工から万年時計、蒸気機関や電信機まで手がけ、七十代で東芝の源流となる工場を興しました。

佐久間象山
さくま しょうざん/1811–1864/幕末・維新
道徳は東洋、技術は西洋と言った人
松代藩の兵学者です。西洋の技術を学ぶことと東洋の道徳を保つことは両立すると説き、勝海舟や吉田松陰ら多くの志士を育てました。

福沢諭吉
ふくざわ ゆきち/1835–1901/明治
学ぶことを、独立の条件にした人
西洋の制度と考え方を紹介し、慶應義塾を開いた思想家です。身分ではなく学問が人の立場を決めると説き、その本は当時の大ベストセラーになりました。

坂本龍馬
さかもと りょうま/1836–1867/幕末・維新
敵同士を、引き合わせた人
土佐藩を脱藩し、海運と貿易の結社を興した志士です。対立していた薩摩と長州を結ぶ役目を果たし、新しい政治体制の案も示しました。

高杉晋作
たかすぎ しんさく/1839–1867/幕末・維新
身分を問わない軍隊をつくった人
長州藩の志士です。武士以外も入れる奇兵隊をつくり、二十七歳で亡くなるまでの数年で藩の方針を二度ひっくり返しました。

渋沢栄一
しぶさわ えいいち/1840–1931/明治
日本資本主義の父
五百を超える会社の設立に関わった実業家です。もうけと道徳は両立すると説き、同時に六百近い社会事業にも生涯にわたって手を貸し続けました。

広岡浅子
ひろおか あさこ/1849–1919/近現代の経営者
炭鉱に入り、銀行を興した人
両替商に嫁いだのち、自ら炭鉱と銀行の経営に乗り出した実業家です。晩年は女性が学べる場をつくることに力を注ぎました。



豊田佐吉
とよだ さきち/1867–1930/近現代の経営者
機械が自分で異常に気づく仕組みを作った人
大工の家に生まれ、独学で自動織機を発明した人です。糸が切れたら機械が自分で止まる仕組みは、いまも生産現場の考え方の土台になっています。
小林一三
こばやし いちぞう/1873–1957/近現代の経営者
何も無い沿線に、暮らしを作った人
乗る人のいない鉄道を引き受け、沿線に住宅地・遊園地・劇場・百貨店を作って、需要そのものを生み出した実業家です。私鉄経営の基本形をつくりました。

与謝野晶子
よさの あきこ/1878–1942/大正・昭和(文化・学術)
言ってはいけないことを歌にした人
情熱をそのまま詠んだ歌人です。戦地の弟を思う詩や女性の自立を説く評論も書き、十一人の子を育てながら仕事を続けました。
出光佐三
いでみつ さぞう/1885–1981/近現代の経営者
社員を解雇しなかった経営者
石油販売会社を一代で築いた経営者です。敗戦で事業のすべてを失った時も社員を解雇せず、その方針を生涯変えませんでした。
平塚らいてう
ひらつか らいちょう/1886–1971/大正・昭和(文化・学術)
女性は太陽であったと書いた人
女性だけの文芸雑誌『青鞜』を創刊した思想家です。女性の自立と母性の保護を論じ、戦後は平和運動にも関わりました。
豊田喜一郎
とよだ きいちろう/1894–1952/近現代の経営者
織機の会社で、車を作り始めた人
織機メーカーの中に自動車部門を立ち上げた技術者です。必要なものを必要なときに必要なだけ流す考え方を持ち込み、のちの生産方式の土台をつくりました。
西堀栄三郎
にしぼり えいざぶろう/1903–1989/大正・昭和(文化・学術)
石橋は叩いても渡れないと言った人
真空管の国産化や品質管理の普及に関わった技術者です。南極観測隊の第一次越冬隊長も務め、新しいことの始め方を書き残しました。
本田宗一郎
ほんだ そういちろう/1906–1991/近現代の経営者
失敗の数を隠さなかった技術者
町の修理工から出発し、二輪車で世界最大の生産規模に届く会社を育てた技術者です。自分の過去は失敗の連続だったと繰り返し語りました。
湯川秀樹
ゆかわ ひでき/1907–1981/大正・昭和(文化・学術)
日本人初のノーベル賞、その後に平和運動
中間子の存在を予言し、日本人として初めてノーベル賞を受けた物理学者です。受賞後は核兵器をなくす運動に長く関わり続けました。
井深大
いぶか まさる/1908–1997/近現代の経営者
愉快な理想工場を、設立趣意書に書いた人
焼け跡の小さな工場からソニーを興した技術者です。技術者が自由に働ける場を作ることを、創業の目的として文章に残しました。
安藤百福
あんどう ももふく/1910–2007/近現代の経営者
四十八歳から、即席麺を作った人
事業に失敗して無一文になったあと、自宅の小屋で即席麺を発明した実業家です。食が足りてこそ世は平らかになると説きました。
岡本太郎
おかもと たろう/1911–1996/大正・昭和(文化・学術)
調和より、ぶつかることを選んだ人
パリで十年を過ごし、縄文土器の激しさに日本美術のもう一つの系譜を見た芸術家です。大阪万博の太陽の塔を作りました。
糸川英夫
いとかわ ひでお/1912–1999/大正・昭和(文化・学術)
長さ二十三センチから始めた宇宙開発
日本のロケット開発を始めた工学者です。戦闘機の設計から出発し、鉛筆ほどの小さなロケットを水平に発射する実験から宇宙への道を開きました。
手塚治虫
てづか おさむ/1928–1989/大正・昭和(文化・学術)
描く速さより、描く量で道を作った人
戦後の漫画の形を作り、テレビアニメの仕組みも立ち上げた作家です。生涯に十五万枚を超える原稿を描いたとされます。
まつもとゆきひろ
まつもと ゆきひろ/1965–没年不詳/現代の技術者
楽しさを設計目標に置いた言語作者
プログラミング言語Rubyを作った技術者です。処理の速さより、書く人が読みやすく楽しく書けることを設計の目標に置きました。