
二宮尊徳
にのみや そんとく/Sontoku Ninomiya
1787–1856/江戸
- 農政家
- 思想家
小さな積み上げで、村を建て直した人
水害で没落した家を自力で再興し、その方法を各地の農村再建に応用した農政家です。数字にもとづく計画と、勤労・分度・推譲の教えを残しました。
言葉
積小為大
読み・現代語:小を積んで大と為す。小さなことを積み重ねて、大きな成果にする。
尊徳の教えを弟子が記録した『二宮翁夜話』にある言葉です。大きな計画を先に立てるのではなく、今日できる小さな仕事を確実に足していく。荒れ地を一枚ずつ耕して家を再興した本人の方法そのものです。
ことばの意味
- 積小為大
- :小さなことを積み重ねて、大きな成果にすること。
出典:『二宮翁夜話』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
遠きをはかる者は富み、近きをはかる者は貧す
読み・現代語:遠い先まで見て計画する者は豊かになり、目先だけを計算する者は貧しくなる。
同じ『二宮翁夜話』に伝えられる言葉です。百年先を見て木を植える者と、今年の収穫だけを数える者を対比しています。目先の損得と長期の計画のどちらを基準に置くか。村の再建で実際に使われた判断でした。
出典:『二宮翁夜話』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である
読み・現代語:道徳を欠いた経済は罪であり、経済を欠いた道徳は寝言にすぎない。
尊徳の考えを後の人が要約した言い方として広まったもので、本人の記録にこの通りの文はありません。それでも、道理と採算を両方欠かさないという教えの中心は、確かにこの人のものです。要約の出どころに注意して読む例です。
出典:後世に尊徳の教えを要約した言い方として広まったもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
この人の歩み
1787年、相模国(いまの神奈川県)の農家に生まれました。十代で川の氾濫により田畑を失い、両親とも死別します。親戚に預けられながら、荒れ地を借りて作物を育て、少しずつ蓄えを増やして生家を再興しました。この経験が、後の方法の土台になります。
小田原藩に認められ、藩の分家である桜町領(いまの栃木県)の再建を任されました。まず過去数十年の収穫を調べ、その土地に見合う支出の上限を決めます。これが「分度」です。上限を超えた分は貯えるか、他へ回す。これを「推譲」と呼びました。加えて、働き手が意欲を持てるよう表彰や貸付を組み合わせています。桜町の再建は十年以上かかりましたが成功し、その後、各地の村や藩の立て直しを引き受けました。関わった地域は六百余りと伝えられます。
1856年に亡くなりました。教えは報徳仕法として受け継がれ、明治以降の農村や産業組合にも影響を与えます。薪を背負って本を読む少年像は、後の時代に作られた姿です。
この言葉が映すもの
- 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる
荒れ地を一枚ずつ耕すところから始め、家と村を十年単位で建て直しました。
- 利他(公のために働く)公のために働く
余った分を自分のものにせず、次の村や次の世代へ回す仕組みを作っています。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
過去数十年の収穫を調べて支出の上限を決めるなど、数字にもとづいて判断しました。
つながる人
関わりのある人

伊能忠敬
いのう ただたか/1745–1818/江戸
五十歳から、日本を歩いて測った人
商家を隠居したあと天文学を学び直し、五十五歳から十七年かけて全国を測量した人物です。歩測と天体観測で日本全図をつくりました。
近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「二宮尊徳」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「報徳思想」(CC BY-SA 4.0)
肖像:岡本秋暉((1807-1862)/報徳博物館蔵/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。

