ことのは年代記

西堀栄三郎(にしぼりえいざぶろう)

にしぼり えいざぶろう/Eizaburo Nishibori

1903–1989/大正・昭和(文化・学術)

  • 技術者
  • 品質管理
  • 登山

石橋(いしばし)は叩(たた)いても渡(わた)れないと言(い)った人(ひと)

真空管(しんくうかん)の国産化(こくさんか)や品質管理(ひんしつかんり)の普及(ふきゅう)に関(かか)わった技術者(ぎじゅつしゃ)です。南極観測隊(なんきょくかんそくたい)の第一次越冬隊長(だいいちじえっとうたいちょう)も務(つと)め、新(あたら)しいことの始(はじ)め方(かた)を書き残(かきのこ)しました。

言葉

石橋(いしばし)を叩(はた)けば渡(わた)れない

読み・現代語:石橋(いしばし)を叩(たた)いて安全(あんぜん)を確(たし)かめようとしていると、いつまでも渡(わた)れない。

自著(じちょ)の題(だい)です。新(あたら)しいことには、事前(じぜん)に確(たし)かめられない部分(ぶぶん)が必(かなら)ず残(のこ)ります。全部(ぜんぶ)を確(たし)かめてから動(うご)くという条件(じょうけん)は、実際(じっさい)には動(うご)かないことと同(おな)じになる。南極(なんきょく)とものづくりの両方(りょうほう)を経験(けいけん)した人(ひと)の結論(けつろん)です。

ことばの意味

石橋(いしばし)
:「石橋を叩いて渡る」で、用心深いことのたとえ。西堀栄三郎は、叩きすぎると渡れないと言いました。

出典:西堀栄三郎(にしぼりえいざぶろう)『石橋(いしばし)を叩(はた)けば渡(わた)れない』(1970年(ねん))出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

異質(いしつ)のものが集(あつ)まらないと、新(あたら)しいものは生(う)まれない

越冬隊(えっとうたい)の編成(へんせい)や技術者(ぎじゅつしゃ)の育成(いくせい)について語(かた)った考え方(かんがえかた)として伝(つた)えられています。同(おな)じ得意分野(とくいぶんや)の人(ひと)だけを集(あつ)めると、見落(みお)としも同(おな)じになる。誰(だれ)と組(く)むかを設計(せっけい)の一部(いちぶ)として扱(あつか)う、という見方(みかた)です。

出典:西堀栄三郎(にしぼりえいざぶろう)が創造性(そうぞうせい)について語(かた)った考え方(かんがえかた)として伝(つた)えられるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

この人の歩み

1903年(ねん)、京都(きょうと)に生(う)まれました。京都帝国大学(きょうとていこくだいがく)で化学(かがく)を学(まな)び、在学中(ざいがくちゅう)から山(やま)に登(のぼ)っています。東京電気(とうきょうでんき)(後(ご)の東芝(とうしば))に入(はい)り、真空管(しんくうかん)の国産化(こくさんか)に取り組(とりく)みました。戦後(せんご)は日本(にっぽん)の産業(さんぎょう)に統計的品質管理(とうけいてきひんしつかんり)を広(ひろ)める仕事(しごと)に関(かか)わります。検査(けんさ)で不良(ふりょう)を弾(ひ)くのではなく、作(つく)る過程(かてい)を管理(かんり)して不良(ふりょう)を出(だ)さないという考え方(かんがえかた)を、現場(げんば)に持ち込(もちこ)みました。

1956年(ねん)、五十三歳(ごじゅうさんさい)で第一次南極観測隊(だいいちじなんきょくかんそくたい)の越冬隊長(えっとうたいちょう)を引(ひ)き受(う)けます。前例(ぜんれい)のない環境(かんきょう)で、十一人(じゅういちにん)が一年間(いちねんかん)を過(す)ごしました。装備(そうび)も食料(しょくりょう)も一度(いちど)で運(はこ)び切(き)る必要(ひつよう)があり、判断(はんだん)の失敗(しっぱい)が命(いのち)に直結(ちょっけつ)します。この経験(けいけん)と技術者(ぎじゅつしゃ)としての年月(としつき)から出(で)てきたのが、著書(ちょしょ)『石橋(いしばし)を叩(はた)けば渡(わた)れない』です。新(あたら)しいことをやるとき、安全(あんぜん)を確(たし)かめ切(き)ってから動(うご)こうとすると永久(えいきゅう)に動(うご)けない、という主張(しゅちょう)でした。危険(きけん)を無視(むし)しろという意味(いみ)ではなく、確(たし)かめられる範囲(はんい)には限(かぎ)りがあると認(みと)めたうえで進(すす)めということです。晩年(ばんねん)は技術者(ぎじゅつしゃ)の育成(いくせい)と、創造性(そうぞうせい)についての講演(こうえん)を続(つづ)けました。

1989年(ねん)に亡(な)くなりました。慎重(しんちょう)さと大胆(だいたん)さの線引(せんひ)きを、自分(じぶん)の言葉(ことば)で示(しめ)した人(ひと)です。

この言葉が映すもの

  • 確(たし)かめ切(き)れないことを認(みと)めたうえで、前例(ぜんれい)のない南極越冬(なんきょくえっとう)に踏み出(ふみだ)しました。

  • 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    検査(けんさ)で弾(ひ)く発想(はっそう)から、作り方(つくりかた)を管理(かんり)する発想(はっそう)へと現場(げんば)の考え方(かんがえかた)を移(うつ)しています。

  • 和(対立を調停し、場を保つ)対立を調停し、場を保つ

    得意分野(とくいぶんや)の違(ちが)う人(ひと)を集(あつ)めることを、成果(せいか)を出(だ)す条件(じょうけん)として扱(あつか)いました。

関わりのある人

近い言葉の人

  • 湯川秀樹(ゆかわひでき)

    ゆかわ ひでき/1907–1981/大正・昭和(文化・学術)

    日本人初(にっぽんじんはつ)のノーベル賞(しょう)、その後(ご)に平和運動(たいらわうんどう)

    中間子(ちゅうかんし)の存在(そんざい)を予言(よげん)し、日本人(にっぽんじん)として初(はじ)めてノーベル賞(しょう)を受(う)けた物理学者(ぶつりがくしゃ)です。受賞後(うしょうご)は核兵器(かくへいき)をなくす運動(うんどう)に長(なが)く関(かか)わり続(つづ)けました。

  • 井深大(いぶかまさる)

    いぶか まさる/1908–1997/近現代の経営者

    愉快(ゆかい)な理想工場(りそうこうじょう)を、設立趣意書(せつりつしゅいしょ)に書(か)いた人(ひと)

    焼け跡(やけあと)の小(ちい)さな工場(こうじょう)からソニーを興(おこ)した技術者(ぎじゅつしゃ)です。技術者(ぎじゅつしゃ)が自由(じゆう)に働(はたら)ける場(ば)を作(つく)ることを、創業(そうぎょう)の目的(もくてき)として文章(ぶんしょう)に残(のこ)しました。

  • 盛田昭夫(もりたあきお)

    もりた あきお/1921–1999/近現代の経営者

    自分(じぶん)たちの名前(なまえ)で世界(せかい)へ売(う)った人(ひと)

    ソニーの共同創業者(きょうどうそうぎょうしゃ)です。下請(したう)けの道(みち)を選(えら)ばず、自社(じしゃ)の名前(なまえ)で海外(かいがい)へ売(う)る形(かたち)を作(つく)り、生活(せいかつ)の道具(どうぐ)そのものを提案(ていあん)しました。

同じ時代の人:牧野富太郎、樋口一葉、与謝野晶子、平塚らいてう

出典

肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。