ことのは年代記
広岡浅子の肖像

広岡浅子(ひろおかあさこ)

ひろおか あさこ/Asako Hirooka

1849–1919/近現代の経営者

  • 実業家
  • 教育支援

炭鉱(たんこう)に入(はい)り、銀行(ぎんこう)を興(おこ)した人(ひと)

両替商(りょうがえしょう)に嫁(とつ)いだのち、自(みずか)ら炭鉱(たんこう)と銀行(ぎんこう)の経営(けいえい)に乗り出(のりだ)した実業家(じつぎょうか)です。晩年(ばんねん)は女性(じょせい)が学(まな)べる場(ば)をつくることに力(ちから)を注(そそ)ぎました。

言葉

九転十起(きゅうてんじっき)

読み・現代語:九度(きゅうど)ころんでも、十度(じゅうど)立ち上(たちあ)がる。

浅子(あさご)の座右(ざゆう)の言葉(ことば)として伝(つた)えられています。七転び八起(ななころびやお)きより一回多(いちかいおお)い数(かぞ)え方(かた)です。家業(かぎょう)の破綻(はたん)、炭鉱(たんこう)の難事(なんじ)、病(やまい)と、立ち上(たちあ)がり直(なお)す場面(ばめん)が実際(じっさい)に何度(なんど)もありました。回数(かいすう)を先(さき)に決(き)めておく、という構(かま)えの言葉(ことば)です。

ことばの意味

九転十起(きゅうてんじっき)
:九回ころんでも十回立ち上がること。七転び八起きより一回多い言い方です。

出典:広岡浅子(ひろおかあさこ)の座右(ざゆう)の語(かたり)として伝(つた)えられるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

婦人(ふじん)の教育(きょういく)をおろそかにする国(くに)は栄(さか)えない

読み・現代語:女性(じょせい)の教育(きょういく)をおろそかにする国(くに)は、栄(さか)えることがない。

女子高等教育(じょしこうとうきょういく)の必要(ひつよう)を説(と)いて回(まわ)ったときの主張(しゅちょう)として伝(つた)えられています。自分(じぶん)が読書(どくしょ)を禁(きん)じられた経験(けいけん)が背景(はいけい)にありました。学(まな)びを断(た)たれた人(ひと)が、次(つぎ)の世代(せだい)の学(まな)ぶ場(ば)をつくる側(がわ)に回(まわ)った例(れい)として読(よ)めます。

出典:広岡浅子(ひろおかあさこ)が女子教育(じょしきょういく)を説(と)いた際(さい)の言葉(ことば)として伝(つた)えられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません

この人の歩み

1849年(ねん)、京都(きょうと)の三井家(みついか)に生(う)まれました。女(おんな)に学問(がくもん)は不要(ふよう)とされ、読書(どくしょ)を禁(きん)じられた少年期(しょうねんき)を送(おく)ります。十七歳(じゅうななさい)で大坂(おおさか)の両替商(りょうがえしょう)・加島屋(かしまや)の広岡家(ひろおかか)に嫁(とつ)ぎました。明治維新(めいじいしん)で大名貸(だいみょうか)しの債権(さいけん)が紙(かみ)くずになり、家業(かぎょう)は傾(かたむ)きます。浅子(あさこ)は簿記(ぼき)や算術(さんじゅつ)を独学(どくがく)し、経営(けいえい)の立て直(たてなお)しに加(くわ)わりました。

新(あたら)しい事業(じぎょう)として炭鉱(たんこう)に目(め)をつけます。筑豊(ちくほう)の炭鉱(たんこう)を買い取(かいと)り、自(みずか)ら坑内(こうない)に入(はい)って現場(げんば)を見(み)ました。荒(あら)くれた男(おとこ)たちのなかで交渉(こうしょう)と采配(さいはい)を行(おこな)い、経営(けいえい)を軌道(きどう)に乗(の)せます。1888年(ねん)には加島銀行(かしまぎんこう)の設立(せつりつ)に関(かか)わり、1902年(ねん)には大同生命保険(だいどうせいめいほけん)の創業(そうぎょう)に加(くわ)わりました。当時(とうじ)の会社法(かいしゃほう)では女性(じょせい)が発起人(ほっきにん)になれなかったため、名義(めいぎ)は夫(おっと)や親族(しんぞく)でしたが、実際(じっさい)に動(うご)いたのは浅子(あさご)です。晩年(ばんねん)は病(やまい)を経(へ)て、女性(じょせい)の高等教育(こうとうきょういく)の必要(ひつよう)を説(と)く側(がわ)に回(まわ)ります。成瀬仁蔵(なるせにぞう)の構想(こうそう)に賛同(さんどう)し、寄付集(きふあつ)めと交渉(こうしょう)に奔走(ほんそう)して1901年(ねん)の日本女子大学校(にほんじょしだいがっこう)の設立(せつりつ)を後押(あとお)ししました。

1919年(ねん)に亡(な)くなります。自(みずか)らを「九転十起(きゅうてんじっき)」と語(かた)ったと伝(つた)えられ、その言葉(ことば)が生き方(いきかた)の要約(ようやく)になっています。

この言葉が映すもの

  • 女性(じょせい)が経営(けいえい)の表(ひょう)に立(た)てない時代(じだい)に、炭鉱(たんこう)や銀行(ぎんこう)という新(あたら)しい事業(じぎょう)へ踏み出(ふみだ)しました。

  • 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    家業(かぎょう)の破綻(はたん)から立て直(たてなお)しまで、退(しりぞ)かずに何度(なんど)もやり直(なお)しています。

  • 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    読書(どくしょ)を禁(きん)じられた少女期(しょうじょき)のあと、簿記(ぼき)も算術(さんじゅつ)も独学(どくがく)で身(み)につけました。

関わりのある人

  • 渋沢栄一の肖像

    渋沢栄一(しぶさわえいいち)

    しぶさわ えいいち/1840–1931/明治

    日本資本主義(にっぽんしほんしゅぎ)の父(ちち)

    五百(ごひゃく)を超(こ)える会社(かいしゃ)の設立(せつりつ)に関(かか)わった実業家(じつぎょうか)です。もうけと道徳(どうとく)は両立(りょうりつ)すると説(と)き、同時(どうじ)に六百近(ろくひゃくちか)い社会事業(しゃかいじぎょう)にも生涯(しょうがい)にわたって手(て)を貸(か)し続(つづ)けました。

  • 津田梅子の肖像

    津田梅子(つだうめこ)

    つだ うめこ/1864–1929/明治

    六歳(ろくさい)で渡米(とべい)し、女子教育(じょしきょういく)を始(はじ)めた人(ひと)

    日本初(にっぽんはつ)の女子留学生(じょしりゅうがくせい)の一人(いちにん)です。二度(にど)の留学(りゅうがく)を経(へ)て女子英学塾(じょしえいがくじゅく)を開(ひら)き、女性(じょせい)が職業(しょくぎょう)を持(も)って自立(じりつ)するための教育(きょういく)を生涯続(しょうがいつづ)けました。

  • 小林一三(こばやしいちぞう)

    こばやし いちぞう/1873–1957/近現代の経営者

    何(なに)も無(な)い沿線(えんせん)に、暮(く)らしを作(つく)った人(ひと)

    乗(の)る人(ひと)のいない鉄道(てつどう)を引(ひ)き受(う)け、沿線(えんせん)に住宅地(じゅうたくち)・遊園地(ゆうえんち)・劇場(げきじょう)・百貨店(ひゃっかてん)を作(つく)って、需要(じゅよう)そのものを生み出(うみだ)した実業家(じつぎょうか)です。私鉄経営(してつけいえい)の基本形(きほんけい)をつくりました。

近い言葉の人

同じ時代の人:豊田佐吉、小林一三、出光佐三、松下幸之助

出典

肖像:No photographer credited./Edith Wilds, "Madame Hirooka, the Invincible" Everybody's Magazine (May 1919): 96./Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。