
聖徳太子
しょうとく たいし/574–622/古代・飛鳥奈良
話し合いを、国のきまりに書いた人
推古天皇のもとで政治にあたった皇族です。位を家柄でなく能力で分ける制度を整え、争いを避けて議論する心得を条文に残しました。
対立を調停し、場を保つ
意見が割れたとき、勝ち負けをつけずに場を保つ。そのために言葉を選んだ人たちです。

しょうとく たいし/574–622/古代・飛鳥奈良
話し合いを、国のきまりに書いた人
推古天皇のもとで政治にあたった皇族です。位を家柄でなく能力で分ける制度を整え、争いを避けて議論する心得を条文に残しました。

せん の りきゅう/1522–1591/戦国・安土桃山
引くことで、豊かさを見せた人
堺の商家に生まれ、狭い茶室と簡素な道具で、もてなしの形そのものを作り替えた茶人です。足すのではなく引くことで豊かさを見せる方法を示しました。

とくがわ いえやす/1543–1616/戦国・安土桃山
待つことで、二百六十年を用意した人
人質として少年期を過ごし、二度の主君の死を経て天下を取った武将です。江戸幕府を開き、その後二百六十年余り続く体制の骨組みをつくりました。

かつ かいしゅう/1823–1899/幕末・維新
負ける側の、後始末をした人
幕府の海軍を育てた幕臣です。自分が仕える体制の敗北を早くから見通し、西郷隆盛との会談で江戸を戦火から救う道をまとめました。

さかもと りょうま/1836–1867/幕末・維新
敵同士を、引き合わせた人
土佐藩を脱藩し、海運と貿易の結社を興した志士です。対立していた薩摩と長州を結ぶ役目を果たし、新しい政治体制の案も示しました。

にとべ いなぞう/1862–1933/明治
太平洋の橋になろうとした人
農学者であり教育者です。英語で『武士道』を著して日本の道徳観を外へ伝え、のちに国際連盟の事務次長として各国の調整にあたりました。
にしぼり えいざぶろう/1903–1989/大正・昭和(文化・学術)
石橋は叩いても渡れないと言った人
真空管の国産化や品質管理の普及に関わった技術者です。南極観測隊の第一次越冬隊長も務め、新しいことの始め方を書き残しました。
いぶか まさる/1908–1997/近現代の経営者
愉快な理想工場を、設立趣意書に書いた人
焼け跡の小さな工場からソニーを興した技術者です。技術者が自由に働ける場を作ることを、創業の目的として文章に残しました。
いわた さとる/1959–2015/現代の技術者
社長になってもプログラマだった人
自分でコードを書き続けたゲーム開発者であり、任天堂の社長を務めた人です。技術者の立場から、遊ぶ人の側に立った製品を出しました。