ことのは年代記
塙保己一の肖像

塙保己一はなわほきいち

はなわ ほきいち/Hokiichi Hanawa

1746–1821/江戸

  • 学者
  • 編纂

えないまま、六百冊ろくひゃくさつんだひと

七歳ななさい失明しつめいしたのち、みみまなんで国学者こくがくしゃとなったひとです。散逸さんいつしかけた古典こてんあつめた『群書類従ぐんしょるいじゅう六百六十六冊ろくひゃくろくじゅうろくさつみました。

言葉

あきというものは不自由ふじゆうなものじゃ

読み・現代語:えるひとというのは、かえって不自由ふじゆうなものだ。

講義こうぎ最中さいちゅうあかりえ、弟子でしたちがあわてたときの言葉ことばとしてつたえられています。自分じぶんかりがらないとっています。不足ふそくなげ言い方いいかたではなく、条件じょうけんちがうだけだというかたあらわれた一言ひとことです。

出典:講義中こうぎちゅう逸話いつわとしてつたえられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません

この事業じぎょうは、我一代わがいちだいにてらずともしからず

読み・現代語:この仕事しごとは、自分じぶんだいわらなくてもかまわない。

四十年よんじゅうねんかかった編纂事業へんさんじぎょうについてかたったとされる言葉ことばです。完成かんせい自分じぶん生涯しょうがい内側うちがわいていません。つぎだいわたすことを前提ぜんてい規格きかくをそろえた仕事しごとのしかたと、そのままかさなります。

出典:群書類従ぐんしょるいじゅう編纂へんさんについてかたったとしてつたえられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません

この人の歩み

1746ねん武蔵国児玉郡むさしくにこだまぐん(いまの埼玉県本庄市さいたまけんほんじょうし)の農家のうかまれました。七歳ななさいやまいにより失明しつめいします。十五歳じゅうごさい江戸えどて、按摩あんまや鍼をまなみちすすみましたが、いずれも上達じょうたつしませんでした。学問がくもんこころざし、雨富検校あめとみけんぎょうのもとで、書物しょもつ読み上よみあげてもらっておぼえる方法ほうほうまなはじめます。

記憶力きおくりょく並外なみはずれていました。一度聞いちどきいた文章ぶんしょうなが保持ほじし、膨大ぼうだい古典こてんあたまれていきます。国学者こくがくしゃ賀茂真淵かものまぶちにもまなびました。保己一ほきいち問題もんだいとしたのは、貴重きちょう古典こてん写本しゃほん各地かくちらばり、うしなわれつつあることでした。そこで、それらをあつめて分類ぶんるいし、版木はんぎって刊行かんこうする事業じぎょうはじめます。1779ねん着手ちゃくしゅし、四十年よんじゅうねんをかけて『群書類従ぐんしょるいじゅう正編六百六十六冊せいへんろくひゃくろくじゅうろくさつ完成かんせいさせました。版木はんぎ一万七千枚いちまんななせんまいえます。文字数もじすうをそろえるため、一行二十字いっこうにじゅうじ一頁二十行いちぺーじにじゅうこうという規格きかくさだめました。研究者けんきゅうしゃ引用いんようしやすいかたちにするためです。幕府ばくふ援助えんじょ和学講談所わがくこうだんしょひらき、後進こうしん育成いくせいにもあたりました。

1821ねんくなりました。版木はんぎはいまも保存ほぞんされ、印刷いんさつできる状態じょうたいにあります。

この言葉が映すもの

  • (諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    四十年よんじゅうねんかけて六百六十六冊ろくひゃくろくじゅうろくさつ版木一万七千枚はんぎいちまんななせんまい彫り上ほりあげました。

  • 散逸さんいつしかけた古典こてんを、研究者けんきゅうしゃ使つかえるかたちととのえてのこしています。

  • (学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    読み上よみあげてもらっておぼえるという方法ほうほうで、膨大ぼうだい古典こてんにつけました。

関わりのある人

近い言葉の人

同じ時代の人:宮本武蔵貝原益軒松尾芭蕉近松門左衛門

出典

肖像:Edo period artist/http://is2.sss.fukushima-u.ac.jp/fks-db//txt/10090.002/html/00033.html/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。