ことのは年代記

世阿弥(ぜあみ)

ぜあみ/Zeami

1363–1443/鎌倉・室町

  • 能楽師
  • 劇作家

芸(げい)の秘密(ひみつ)を、文章(ぶんしょう)で残(のこ)した人(ひと)

父(ちち)とともに能(のう)を大成(たいせい)した役者(やくしゃ)であり作者(さくしゃ)です。稽古(けいこ)と演出(えんしゅつ)の考え方(かんがえかた)を『風姿花伝(ふうしかでん)』などにまとめ、芸(げい)の理論(りろん)を初(はじ)めて言葉(ことば)にしました。

言葉

秘(ひ)すれば花(はな)なり、秘(ひ)せずば花(はな)なるべからず

読み・現代語:隠(かく)しておくからこそ花(はな)になる。隠(かく)さなければ花(はな)にはならない。

『風姿花伝(ふうしかでん)』の一節(いちせつ)です。手の内(てのうち)をすべて見(み)せると、観客(かんきゃく)の驚(おどろ)きは消(き)えてしまうという演出論(えんしゅつろん)でした。もったいぶれという意味(いみ)ではなく、効果(こうか)は情報(じょうほう)の出(だ)し方(かた)で決(き)まるという指摘(してき)です。見(み)せ方(かた)を考(かんが)える場面(ばめん)で役に立(やくにた)ちます。

ことばの意味

秘すれば花(ひすればはな)
:隠しておくからこそ、見た人が驚く、という世阿弥の考え方のこと。

出典:世阿弥(ぜあみ)『風姿花伝(ふうしかでん)』別紙口伝(べっしくでん)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

初心忘(しょしんわす)るべからず

読み・現代語:始(はじ)めたころの未熟(みじゅく)さを忘(わす)れてはいけない。

『花鏡(かきょう)』にある言葉(ことば)です。よく「最初(さいしょ)のやる気(き)を保(たも)て」と読(よ)まれますが、世阿弥(ぜあみ)の意味(いみ)は違(ちが)います。下手(へた)だったころの自分(じぶん)を覚(おぼ)えておけば、いまの位置(いち)が分(わ)かる。上達(じょうたつ)したあとにこそ意味(いみ)を持(も)つ戒(いまし)めです。

ことばの意味

初心(しょしん)
:世阿弥のいう初心は、始めたころの下手だった自分のこと。やる気のことではありません。

出典:世阿弥(ぜあみ)『花鏡(かきょう)』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

離見の見(りけんのけん)

読み・現代語:自分(じぶん)から離(はな)れたところから、自分(じぶん)を見(み)る目(め)。

『花鏡(かきょう)』で説(と)いた考え方(かんがえかた)です。役者(やくしゃ)は自分(じぶん)の見(み)たい姿(すがた)ではなく、客席(きゃくせき)から見(み)えている姿(すがた)を知(し)らなければならない、という要求(ようきゅう)でした。発表(はっぴょう)や仕事(しごと)の見直(みなお)しにそのまま使(つか)える、視点(してん)の切り替(きりか)え方(かた)です。

ことばの意味

離見の見(りけんのけん)
:自分から離れた場所から、自分の姿を見る目のこと。客席から見た自分を知ることです。

出典:世阿弥(ぜあみ)『花鏡(かきょう)』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

この人の歩み

1363年(ねん)ごろ、大和猿楽(やまとさるがく)の役者(やくしゃ)・観阿弥(かんあみ)の子(こ)として生(う)まれました。十二歳(じゅうにさい)のとき、京(きょう)での公演(こうえん)を将軍足利義満(しょうぐんあしかがよしみつ)に見(み)いだされ、幕府(ばくふ)の保護(ほご)を受(う)けます。少年(しょうねん)の美(うつく)しさで評判(ひょうばん)になりましたが、世阿弥(ぜあみ)はその評判(ひょうばん)が年齢(ねんれい)とともに消(き)えることを早(はや)くから自覚(じかく)していました。

父(ちち)の死後(しご)、一座(いちざ)を率(ひき)いて能(のう)を大成(たいせい)します。歌(うた)と舞(まい)と物語(ものがたり)を組み合(くみあ)わせ、亡霊(ぼうれい)が過去(かこ)を語(かた)る「夢幻能(むげんのう)」の形(かたち)を確立(かくりつ)しました。『高砂(たかさご)』『井筒(いづつ)』など、いまも上演(じょうえん)される曲(きょく)を多(おお)く作(つく)っています。同時(どうじ)に、それまで口伝(くちづた)えだった稽古(けいこ)の方法(ほうほう)を文章(ぶんしょう)にしました。『風姿花伝(ふうしかでん)』では、年齢(ねんれい)ごとの稽古(けいこ)のしかたと、観客(かんきゃく)に新鮮(しんせん)さを感(かん)じさせる「花(はな)」の考え方(かんがえかた)を説(と)いています。晩年(ばんねん)の『花鏡(かきょう)』では、自分(じぶん)の姿(すがた)を離(はな)れたところから見(み)る「離見の見(りけんのけん)」を論(ろん)じました。

晩年(ばんねん)は将軍義教(しょうぐんよしのり)に疎(うと)まれ、七十歳(ななじゅうさい)を過(す)ぎて佐渡(さど)へ流(なが)されます。それでも書(か)くことをやめず、佐渡(さど)でも作品(さくひん)を残(のこ)しました。その伝書(でんしょ)は長(なが)く一子相伝(いっしそうでん)とされ、広(ひろ)く公開(こうかい)されたのは二十世紀(にじゅうせいき)に入(はい)ってからです。

この言葉が映すもの

  • 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意

    年齢(ねんれい)ごとの稽古(けいこ)の順序(じゅんじょ)まで決(き)め、芸(げい)を再現(さいげん)できる形(かたち)に落とし込(おとしこ)みました。

  • 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て

    すべてを見(み)せずに残(のこ)すことで、観客(かんきゃく)の側(がわ)に想像(そうぞう)の余地(よち)をつくっています。

  • 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    自分(じぶん)の芸(げい)を客席(きゃくせき)の目(め)で見直(みなお)す方法(ほうほう)を考(かんが)え、それを文章(ぶんしょう)にして次(つぎ)の世代(せだい)へ渡(わた)しました。

関わりのある人

近い言葉の人

同じ時代の人:鴨長明、北条政子、親鸞、道元

出典

肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。