
夏目漱石
なつめ そうせき/Soseki Natsume
1867–1916/明治
- 作家
- 英文学者
近代人の居心地の悪さを書いた人
英文学を修めた作家です。急に形を変えた社会のなかで、個人がどう立つかという問いを、小説と講演の両方で書き続けました。
言葉
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい
読み・現代語:理屈で動けば人と衝突し、感情に流されれば押し流され、意地を通せば息苦しい。とかく人の世は住みにくい。
『草枕』の冒頭です。理屈でも情でも意地でも、どれを選んでも具合が悪いと並べています。答えを出さずに、生きにくさをそのまま書き留めた一節で、漱石の小説全体の入口のようになっています。
出典:夏目漱石『草枕』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
自己本位
読み・現代語:自分を基準にして考える。
講演『私の個人主義』で説明した言葉です。わがままの意味ではありません。他人の評価を借りて物事を決めるのをやめ、自分の判断の土台を作るということです。留学中に行き詰まった経験から出てきた考えでした。
ことばの意味
- 自己本位
- :他人の評価を借りずに、自分の頭で考えて決めること。わがままとは違います。
出典:夏目漱石『私の個人主義』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
この人の歩み
1867年、江戸の名主の家に生まれました。生後すぐ里子に出され、養子先から実家へ戻るという複雑な幼少期を送ります。帝国大学で英文学を学び、松山や熊本で教師を務めました。1900年、国費でイギリスへ留学します。しかしロンドンでは、英文学とは何かという根本の問いに行き当たり、強い不調に陥りました。
帰国後、東京帝国大学で教えながら『吾輩は猫である』を発表します。評判となり、1907年には大学を辞めて朝日新聞に入社し、専業の作家になりました。『坊っちゃん』『三四郎』『それから』『こころ』などを次々に連載します。描かれたのは、家や世間の期待と、自分の考えとの間で身動きが取れなくなる人物たちでした。留学中の経験から得た「自己本位」という言葉を、後年の講演『私の個人主義』で説明しています。人の評価を借りて判断するのをやめ、自分の足場を自分で作るという意味でした。
1916年、胃潰瘍のため四十九歳で亡くなりました。門下からは多くの書き手が出ています。作品はいまも読み継がれ、教科書にも収められています。
この言葉が映すもの
- 誠(言と行を一致させる)言と行を一致させる
急ぐ時代に合わせて楽観を書かず、自分が感じた居心地の悪さを書き続けました。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
英文学の枠組みを疑うところまで学び直し、そこから自分の考え方を立てています。
- 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て
説明で押し切らず、人物の沈黙や間で心の動きを見せる書き方を選びました。
つながる人
関わりのある人

福沢諭吉
ふくざわ ゆきち/1835–1901/明治
学ぶことを、独立の条件にした人
西洋の制度と考え方を紹介し、慶應義塾を開いた思想家です。身分ではなく学問が人の立場を決めると説き、その本は当時の大ベストセラーになりました。

紫式部
むらさき しきぶ/生没年不詳/平安
人の心の動きを、初めて長編にした人
『源氏物語』を書いた作家です。恋や嫉妬、老いといった心の揺れを、五十四帖の長編として書ききり、日本語で書かれた文学の基準をつくりました。
近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「夏目漱石」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「草枕」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「私の個人主義」(CC BY-SA 4.0)
肖像:Ogawa Kazumasa/1. Jiten [1], 2. The Japan Times article, The University Art Museum, Tokyo University of the Arts [2]/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。


