ことのは年代記

松下幸之助(まつしたこうのすけ)

まつした こうのすけ/Konosuke Matsushita

1894–1989/近現代の経営者

  • 実業家
  • 電機

物(もの)より先(さき)に、人(ひと)を作(つく)ると言(い)った人(ひと)

町工場(まちこうじょう)から世界的(せかいてき)な電機(でんき)メーカーを育(そだ)てた経営者(けいえいしゃ)です。事業(じぎょう)の目的(もくてき)を暮(く)らしを豊(ゆた)かにすることに置(お)き、人(ひと)を育(そだ)てる話(はなし)を繰り返(くりかえ)しました。

言葉

松下電器(まつしたでんき)は人(ひと)をつくるところです。あわせて電気器具(でんききぐ)もつくっております

読み・現代語:松下電器(まつしたでんき)は人(ひと)を育(そだ)てるところです。あわせて電気器具(でんききぐ)も作(つく)っています。

社員(しゃいん)に、会社(かいしゃ)は何(なに)をする場所(ばしょ)かと聞(き)かれたときの答(こた)えとして伝(つた)えられています。製品(せいひん)より人(ひと)が先(さき)だという順番(じゅんばん)を、冗談(じょうだん)のような形(かたち)で言い切(いいき)りました。育(そだ)てることを本業(ほんぎょう)の側(がわ)に置(お)く、という宣言(せんげん)になっています。

出典:松下幸之助(まつしたこうのすけ)が社員(しゃいん)に語(かた)ったとされる言葉(ことば)出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

雨(あめ)が降(ふ)れば傘(かさ)をさす

読み・現代語:雨(あめ)が降(ふ)れば傘(かさ)をさす。当たり前(あたりまえ)のことを、当たり前(あたりまえ)にやる。

商売(しょうばい)の心得(こころえ)として繰り返(くりかえ)し語(かた)った言葉(ことば)です。当たり前(あたりまえ)のことを当たり前(あたりまえ)にやる、という意味(いみ)でした。特別(とくべつ)な策(さく)を探(さが)す前(まえ)に、集金(しゅうきん)する、在庫(ざいこ)を確(たし)かめる、約束(やくそく)を守(まも)る。基本(きほん)の動作(どうさ)を落(お)とさないという指示(しじ)です。

出典:松下幸之助(まつしたこうのすけ)が商売(しょうばい)の心得(こころえ)として語(かた)ったとされる言葉(ことば)出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

素直(すなお)な心(こころ)になりましょう

読み・現代語:思い込(おもいこ)みを先(さき)に置(お)かず、ありのままを見(み)る心(こころ)になりましょう。

晩年(ばんねん)に説(と)き続(つづ)けた考え方(かんがえかた)で、著書(ちょしょ)の題(だい)にもなっています。人(ひと)の話(はなし)をよく聞(き)くという意味(いみ)にとどまらず、事実(じじつ)をゆがめずに見(み)る態度(たいど)を指(さ)しました。自分(じぶん)の思い込(おもいこ)みを先(さき)に置(お)かない、という実務的(じつむてき)な戒(いまし)めです。

ことばの意味

素直な心(すなおなこころ)
:思いこみを先に置かず、ありのままを見る心のこと。松下幸之助が説きました。

出典:松下幸之助(まつしたこうのすけ)『素直(すなお)な心(こころ)になるために』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

この人の歩み

1894年(ねん)、和歌山(わかやま)に生(う)まれました。父(ちち)の事業(じぎょう)の失敗(しっぱい)で九歳(きゅうさい)から大阪(おおさか)へ奉公(ほうこう)に出(で)ます。学校(がっこう)は四年(よんねん)で終(お)わりました。電灯会社(でんとうかいしゃ)の工員(こういん)として働(はたら)きながら電気(でんき)の仕事(しごと)を覚(おぼ)え、1918年(ねん)、二十三歳(にじゅうさんさい)で松下電気器具製作所(まつしたでんききぐせいさくしょ)を始(はじ)めます。最初(さいしょ)の商品(しょうひん)は改良(かいりょう)した二股(ふたまた)ソケットでした。

自転車用(じてんしゃよう)の電池(でんち)ランプ、ラジオ、家電(かでん)と製品(せいひん)を広(ひろ)げ、事業部制(じぎょうぶせい)を早(はや)くから取り入(とりい)れて、部門(ぶもん)ごとに採算(さいさん)を持(も)たせます。1929年(ねん)の不況(ふきょう)では、生産(せいさん)を半分(はんぶん)に落(お)としながら従業員(じゅうぎょういん)を解雇(かいこ)せず、給与(きゅうよ)も減(へ)らさない方針(ほうしん)をとりました。在庫(ざいこ)を社員全員(しゃいんぜんいん)で売(う)り歩(ある)き、数(すう)か月(げつ)で持ち直(もちなお)しています。1933年(ねん)には会社(かいしゃ)の存在理由(そんざいりゆう)を明文化(めいぶんか)しました。水道(すいどう)の水(みず)のように安(やす)くよい品(しな)を行き渡(いきわた)らせ、暮(く)らしを豊(ゆた)かにする、という考え方(かんがえかた)です。晩年(ばんねん)は私財(しざい)を投(とう)じて松下政経塾(まつしたせいけいじゅく)を設立(せつりつ)し、政治(せいじ)を担(にな)う人(ひと)の育成(いくせい)に取り組(とりく)みました。

1989年(ねん)に九十四歳(きゅうじゅうよんさい)で亡(な)くなります。物(もの)を作(つく)る前(まえ)に人(ひと)を作(つく)る、という言い方(いいかた)を生涯(しょうがい)繰り返(くりかえ)した人(ひと)でした。

この言葉が映すもの

  • よい品(しな)を安(やす)く行き渡(いきわた)らせて暮(く)らしを豊(ゆた)かにすることを、事業(じぎょう)の目的(もくてき)に据(す)えました。

  • 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    学校教育(がっこうきょういく)を四年(よんねん)で終(お)えたあとも、人(ひと)から聞(き)いて学(まな)ぶ姿勢(しせい)を保(たも)ち続(つづ)けています。

  • 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    不況(ふきょう)の時期(じき)に人(ひと)を減(へ)らさず、全員(ぜんいん)で売(う)り歩(ある)いて立て直(たてなお)しました。

関わりのある人

  • 本田宗一郎(ほんだそういちろう)

    ほんだ そういちろう/1906–1991/近現代の経営者

    失敗(しっぱい)の数(かず)を隠(かく)さなかった技術者(ぎじゅつしゃ)

    町(まち)の修理工(しゅうりこう)から出発(しゅっぱつ)し、二輪車(にりんしゃ)で世界最大(せかいさいだい)の生産規模(せいさんきぼ)に届(とど)く会社(かいしゃ)を育(そだ)てた技術者(ぎじゅつしゃ)です。自分(じぶん)の過去(かこ)は失敗(しっぱい)の連続(れんぞく)だったと繰り返(くりかえ)し語(かた)りました。

  • 稲盛和夫(いなもりかずお)

    いなもり かずお/1932–2022/近現代の経営者

    動機(どうき)は善(ぜん)か、と自分(じぶん)に問(と)うた経営者(けいえいしゃ)

    京セラ(きょうせら)を創業(そうぎょう)し、通信会社(つうしんかいしゃ)を興(おこ)し、経営破綻(けいえいはたん)した航空会社(こうくうかいしゃ)を立て直(たてなお)した経営者(けいえいしゃ)です。判断(はんだん)の前(まえ)に動機(どうき)を確(たし)かめる方法(ほうほう)を説(と)きました。

  • 出光佐三(いでみつさぞう)

    いでみつ さぞう/1885–1981/近現代の経営者

    社員(しゃいん)を解雇(かいこ)しなかった経営者(けいえいしゃ)

    石油販売会社(せきゆはんばいかいしゃ)を一代(いちだい)で築(きず)いた経営者(けいえいしゃ)です。敗戦(はいせん)で事業(じぎょう)のすべてを失(うしな)った時(とき)も社員(しゃいん)を解雇(かいこ)せず、その方針(ほうしん)を生涯変(しょうがいか)えませんでした。

近い言葉の人

同じ時代の人:広岡浅子、豊田佐吉、小林一三、出光佐三

出典

肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。