ことのは年代記
新渡戸稲造の肖像

新渡戸稲造(にとべいなぞう)

にとべ いなぞう/Inazo Nitobe

1862–1933/明治

  • 教育者
  • 農学者
  • 国際人

太平洋(たいへいよう)の橋(はし)になろうとした人(ひと)

農学者(のうがくしゃ)であり教育者(きょういくしゃ)です。英語(えいご)で『武士道(ぶしどう)』を著(あらわ)して日本(にっぽん)の道徳観(どうとくかん)を外(そと)へ伝(つた)え、のちに国際連盟(こくさいれんめい)の事務次長(じむじちょう)として各国(かっこく)の調整(ちょうせい)にあたりました。

言葉

われ太平洋(たいへいよう)の橋(はし)とならん

読み・現代語:私(わたし)は太平洋(たいへいよう)にかかる橋(はし)になろう。

学生時代(がくせいじだい)、なぜ学(まな)ぶのかを問(と)われて答(こた)えたと伝(つた)えられる言葉(ことば)です。どちらかの側(がわ)に立(た)って主張(しゅちょう)するのではなく、間(ま)に立(た)って通(とお)れるようにする役(やく)を選(えら)びました。国際連盟(こくさいれんめい)での仕事(しごと)は、その延長線上(えんちょうせんじょう)にあります。

出典:新渡戸稲造(にとべいなぞう)の語(かたり)として伝(つた)わるもの(札幌農学校時代(さっぽろのうがっこうじだい))出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

勇気(ゆうき)が人(ひと)の精神(せいしん)に宿(やど)っている姿(すがた)は、沈着(ちんちゃく)、すなわち心(こころ)の落ち着(おちつ)きとしてあらわれる

読み・現代語:勇気(ゆうき)が心(こころ)に宿(やど)っているとき、それは落ち着(おちつ)きとして外(そと)に現(あらわ)れる。

『武士道(ぶしどう)』で勇気(ゆうき)を論(ろん)じた部分(ぶぶん)の言葉(ことば)です。勇(いさ)ましく振る舞(ふるま)うことではなく、静(しず)かでいられることが勇気(ゆうき)の形(かたち)だと述(の)べました。危機(きき)のときに声(こえ)を荒(あ)らげない人(ひと)を思い浮(おもいう)かべると、この定義(ていぎ)は腑(ふ)に落(お)ちます。

出典:新渡戸稲造(にとべいなぞう)『武士道(ぶしどう)』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

とかく物事(ものごと)には明暗(めいあん)の両方面(りょうほうめん)がある。私(わたし)は光明(こうみょう)の方面(ほうめん)から見(み)たい

読み・現代語:物事(ものごと)には明(あか)るい面(めん)と暗(くら)い面(めん)の両方(りょうほう)がある。私(わたし)は明(あか)るいほうから見(み)たい。

新渡戸(にとべ)の言葉(ことば)として伝(つた)えられているものです。楽観(らっかん)をすすめているというより、同(おな)じ事実(じじつ)のどちら側(がわ)を見(み)るかは選(えら)べる、という指摘(してき)になっています。国際交渉(こくさいこうしょう)という、うまくいかないことの多(おお)い仕事(しごと)を続(つづ)けた人(ひと)の構(かま)えです。

出典:新渡戸稲造(にとべいなぞう)の語(かたり)として伝(つた)わるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

この人の歩み

1862年(ねん)、盛岡藩(もりおかはん)(いまの岩手県(いわてけん))の武士(ぶし)の家(いえ)に生(う)まれました。札幌農学校(さっぽろのうがっこう)で学(まな)び、キリスト教(きょう)に入信(にゅうしん)します。学生時代(がくせいじだい)、なぜ農学(のうがく)を学(まな)ぶのかと問(と)われ、太平洋(たいへいよう)の橋(はし)になりたいと答(こた)えたと伝(つた)えられています。その後(ご)アメリカとドイツに留学(りゅうがく)し、農政学(のうせいがく)を修(おさ)めました。

帰国後(きこくご)は札幌農学校(さっぽろのうがっこう)や京都帝国大学(きょうとていこくだいがく)、東京帝国大学(とうきょうていこくだいがく)で教(おし)え、旧制第一高等学校(きゅうせいだいちこうとうがっこう)の校長(こうちょう)も務(つと)めました。学生(がくせい)に人気(にんき)があり、教室(きょうしつ)の外(そと)でも相談(そうだん)に応(おう)じたと言(い)われます。1899年(ねん)、療養先(りょうようさき)のアメリカで、英語(えいご)で書(か)いた著作(ちょさく)『武士道(ぶしどう)』を発表(はっぴょう)しました。西洋(せいよう)の読者(どくしゃ)に、日本(にっぽん)には宗教教育(しゅうきょうきょういく)とは別(べつ)の道徳(どうとく)の柱(はしら)があると説明(せつめい)したもので、各国語(かっこくご)に訳(やく)されて広(ひろ)く読(よ)まれます。1920年(ねん)から七年間(ななねんかん)、国際連盟(こくさいれんめい)の事務次長(じむじちょう)として、少数民族(しょうすうみんぞく)の保護(ほご)や知的協力(ちてききょうりょく)の枠組(わくぐ)みづくりに関(かか)わりました。国際的(こくさいてき)な仕事(しごと)のなかで、日本(にっぽん)と欧米(おうべい)の考え方(かんがえかた)の違(ちが)いを何度(なんど)も説明(せつめい)しています。

1933年(ねん)、カナダでの会議中(かいぎちゅう)に亡(な)くなりました。日本(にっぽん)が国際連盟(こくさいれんめい)を脱退(だったい)した直後(ちょくご)のことでした。

この言葉が映すもの

  • 和(対立を調停し、場を保つ)対立を調停し、場を保つ

    対立(たいりつ)する国(くに)や民族(みんぞく)の間(ま)に立(た)ち、双方(そうほう)の言い分(いいぶん)を通訳(つうやく)する役(やく)を引(ひ)き受(う)けました。

  • 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    アメリカとドイツで学(まな)び、日本(にっぽん)の道徳(どうとく)を外国語(がいこくご)で説明(せつめい)できる形(かたち)に整理(せいり)しています。

  • 教え子(おしえご)の相談(そうだん)に個別(こべつ)に応(おう)じ、国際連盟(こくさいれんめい)では少数民族(しょうすうみんぞく)の保護(ほご)に取り組(とりく)みました。

関わりのある人

近い言葉の人

同じ時代の人:福沢諭吉、渋沢栄一、田中正造、北里柴三郎

出典

肖像:Auguste Léon/Musée départemental Albert-Kahn/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。