
葛飾北斎
かつしか ほくさい/Hokusai Katsushika
1760–1849/江戸
- 浮世絵師
- 画家
九十歳でまだ足りないと書いた絵師
富嶽三十六景で知られる浮世絵師です。生涯に三万点を超える作品を残し、七十を過ぎてなお上達の途中だと書きました。
言葉
七十三才にして稍禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり
読み・現代語:七十三歳になって、ようやく鳥や獣、虫や魚の骨格、草木の生え方が少し分かってきた。
七十五歳のときに書いた振り返りの一節です。名声を得たあとで、やっと分かりかけたと書いています。上達を過去形で語らず、途中経過として報告する。技を磨く人の時間感覚がよく出ています。
出典:葛飾北斎『富嶽百景』跋文出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし
読み・現代語:天があと五年の命を与えてくれたなら、本物の絵師になれるだろう。
臨終の際の言葉として伝えられています。八十九歳で三万点を描いた人が、まだ本物ではないと言いました。到達点を自分で下げない姿勢が、生涯にわたる作風の変化そのものと重なります。
出典:臨終の言葉として伝えられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
この人の歩み
1760年、江戸の本所に生まれました。十九歳で浮世絵師に弟子入りします。以後、画号を三十回ほど変え、住まいは九十回以上変わったと伝えられます。役者絵、美人画、読本の挿絵、絵手本と、扱う分野を次々に移りました。四十代後半には、絵の描き方を学ぶための手本『北斎漫画』を刊行し、人物の姿勢や動きを大量に収めています。
代表作の『富嶽三十六景』を出したのは七十歳を過ぎてからでした。波の形を一瞬で止めた「神奈川沖浪裏」、赤く染まる山を描いた「凱風快晴」など、構図の大胆さで知られます。遠近法や色の使い方には、輸入された西洋の版画からの影響も指摘されています。晩年、七十五歳のときに出した『富嶽百景』の跋文で、自分の画歴を振り返りました。七十歳より前に描いたものは取るに足らない、八十歳でさらに上達し、九十歳で奥義を極め、百十歳になれば一点一画が生きているようになるだろう、と書いています。
1849年、八十九歳で亡くなりました。もう十年、いや五年あれば本当の絵師になれたのに、と言い残したと伝えられます。
この言葉が映すもの
- 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意
骨格や草木の生え方まで観察し、描く対象の仕組みから理解しようとしました。
- 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる
七十歳を過ぎてから代表作を出し、八十九歳まで描き続けています。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
画号を三十回変え、輸入された西洋版画の技法も取り入れて作風を変え続けました。
つながる人
関わりのある人


千利休
せん の りきゅう/1522–1591/戦国・安土桃山
引くことで、豊かさを見せた人
堺の商家に生まれ、狭い茶室と簡素な道具で、もてなしの形そのものを作り替えた茶人です。足すのではなく引くことで豊かさを見せる方法を示しました。

近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「葛飾北斎」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「富嶽三十六景」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「北斎漫画」(CC BY-SA 4.0)
肖像:Katsushika Hokusai/Unknown sourceUnknown source/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。
