石田梅岩
いしだ ばいがん/Baigan Ishida
1685–1744/江戸
- 思想家
- 商人
商いを、堂々と肯定した人
京の商家に奉公しながら独学し、商人の利益は武士の俸禄と同じだと説いた思想家です。その教えは石門心学として全国へ広がりました。
言葉
商人の買利は士の禄に同じ
読み・現代語:商人が売買で得る利益は、武士が受け取る俸禄と同じものだ。
主著『都鄙問答』で示した考えです。商人がもうけるのは卑しいという当時の見方に、仕事に対する正当な報酬だと答えました。働きに応じて受け取るという当たり前を、身分の壁をこえて言い切った一文です。
ことばの意味
- 買利
- :品物を売り買いして得るもうけのこと。
- 禄
- :武士が主君からもらう給料のこと。
出典:石田梅岩『都鄙問答』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
実の商人は、先も立ち、我も立つことを思うなり
読み・現代語:本当の商人は、相手も自分も成り立つことを考えるものだ。
同じ『都鄙問答』の一節です。利益を認めたうえで、条件をここに置きました。相手を損させて得た利は続かない。売り手と買い手のどちらかが我慢する取引を、商いと呼ばないという線引きです。
出典:石田梅岩『都鄙問答』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
この人の歩み
1685年、丹波(いまの京都府)の農家に生まれました。十一歳で京の商家に奉公に出ますが、店が傾いて一度は郷里へ戻ります。二十三歳で再び奉公に出て、番頭まで務めました。働きながら書物を読み、神道・儒学・仏教を独学します。四十代で小栗了雲という師に出会い、大きな影響を受けました。
四十五歳のとき、自宅で講義を始めます。看板を出し、聴きたい人は誰でも無料で聞ける形にしました。女性の聴講も受け入れています。当時、商人は「作らずに利をとる者」と見られがちでした。梅岩はこれに正面から答えます。武士が俸禄を受け取るのと同じように、商人が売買で利を得るのは正当な報酬である。ただしそれは、相手も自分も立つ商いであることが条件だ、と説きました。1739年に『都鄙問答』を刊行しています。
1744年に亡くなりました。弟子の手島堵庵らによって講舎は各地に広がり、石門心学と呼ばれます。商いを卑しまない考え方は、のちの日本の商業道徳に影響を与えたと評されます。
この言葉が映すもの
- 誠(言と行を一致させる)言と行を一致させる
利益を隠さず肯定したうえで、相手も立つことを条件に置きました。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
奉公で働きながら独学を続け、四十代で自分の講義を始めています。
- 利他(公のために働く)公のために働く
講義を無料にし、身分や性別を問わず誰でも聴ける形にしました。
つながる人
関わりのある人

二宮尊徳
にのみや そんとく/1787–1856/江戸
小さな積み上げで、村を建て直した人
水害で没落した家を自力で再興し、その方法を各地の農村再建に応用した農政家です。数字にもとづく計画と、勤労・分度・推譲の教えを残しました。

渋沢栄一
しぶさわ えいいち/1840–1931/明治
日本資本主義の父
五百を超える会社の設立に関わった実業家です。もうけと道徳は両立すると説き、同時に六百近い社会事業にも生涯にわたって手を貸し続けました。
近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「石田梅岩」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「石門心学」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「都鄙問答」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。


