ことのは年代記
貝原益軒の肖像

貝原益軒かいばらえきけん

かいばら えきけん/Ekiken Kaibara

1630–1714/江戸

  • 儒学者
  • 本草学者
  • 教育

健康けんこう作法さほうを、庶民しょみん言葉ことばいたひと

福岡藩ふくおかはんつかえた学者がくしゃです。動植物どうしょくぶつ調しらべて記録きろくする一方いっぽう養生訓ようじょうくんなど、生活せいかつのしかたを平易へいい仮名かめいまじりぶんひろきました。

言葉

ひと父母ちちははほんとし、天地てんちはつとす

読み・現代語:ひとからだ父母ちちははをもとにし、天地てんちをはじまりとしている。

養生訓ようじょうくん』の冒頭ぼうとうです。自分じぶんからだ自分じぶんだけのものではない、という前提ぜんてい最初さいしょきました。だから大切たいせつ使つかえ、というはなしにつながります。健康法けんこうほう理由りゆうを、個人こじんとくではないところにいた書き出かきだしです。

出典:貝原益軒かいばらえきけん養生訓ようじょうくん巻第一まきだいいち出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

腹八分はらはちふんしょくして、飲食いんしょくせっすべし

読み・現代語:腹八分目はらはちふんめべるようにし、飲み食のみくいをひかえめにしなさい。

養生訓ようじょうくん』の実践項目じっせんこうもくひとつです。三百年前さんひゃくねんまえかれ、いまもおな言い方いいかた使つかわれています。むずかしい理屈りくつではなく、そのから実行じっこうできるかたちとしていたことが、ながのこった理由りゆうかんがえられます。

出典:貝原益軒かいばらえきけん養生訓ようじょうくん出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

この人の歩み

1630ねん福岡藩ふくおかはん藩医はんいいえまれました。わかいころ藩主はんしゅいかりにれて七年間浪人ななねんかんろうにんし、そのかん独学どくがくすすめています。復帰後ふっきご京都きょうとまなび、朱子学しゅしがくのほか、医学いがく本草学ほんぞうがく地理ちりおさめました。はんもどってからは、領内りょうないあるいて『筑前国続風土記ちくぜんこくぞくふどき』をまとめ、動植物どうしょくぶつ地形ちけい記録きろくしています。

益軒えきけん特徴とくちょうは、相手あいて学者がくしゃかぎらなかったてんです。当時とうじ学術書がくじゅつしょ漢文かんぶん普通ふつうでしたが、益軒えきけん仮名かめいまじりの平易へいい文章ぶんしょうで、生活せいかつ使つかえる知識ちしききました。どもの教育きょういくについて、女性じょせいらしについて、農業のうぎょうについて、それぞれ書物しょもつのこしています。八十三歳はちじゅうさんさいのときにあらわした『養生訓ようじょうくん』はその代表だいひょうです。ぎないこと、腹八分はらはちふんにすること、あるくこと、いかりや心配しんぱい長引ながびかせないこと、大切たいせつにすることなど、日々ひび作法さほう具体的ぐたいてきならべました。自身じしんからだよわく、養生ようじょう実践じっせんしてながきた経験けいけんがもとになっています。

1714ねん八十五歳はちじゅうごさいくなりました。専門知識せんもんちしきを、ひと生活せいかつ言葉ことば翻訳ほんやくしたはやれいです。

この言葉が映すもの

  • (学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    領内りょうないあるいて動植物どうしょくぶつ地形ちけい自分じぶん調しらべ、記録きろくのこしました。

  • 漢文かんぶんではなく仮名かめいまじりぶんき、学者以外がくしゃもっそとひとめるかたちにしています。

  • (諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    からだよわ自分じぶん養生ようじょうためし、八十五歳はちじゅうごさいまでつづけました。

関わりのある人

近い言葉の人

同じ時代の人:宮本武蔵松尾芭蕉近松門左衛門石田梅岩

出典

肖像:Unknown authorUnknown author/Original source = https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller . This is a cropped version of the artwork = https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kaibara_Ekiken2/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。