ことのは年代記
杉田玄白の肖像

杉田玄白(すぎたげんぱく)

すぎた げんぱく/Genpaku Sugita

1733–1817/江戸

  • 医師
  • 蘭学者

辞書(じしょ)なしで、西洋(せいよう)の本(ほん)を訳(やく)した人(ひと)

オランダ語(ご)の解剖書(かいぼうしょ)を仲間(なかま)と翻訳(ほんやく)し『解体新書(かいたいしんしょ)』として刊行(かんこう)した医師(いし)です。手(て)がかりのない状態(じょうたい)からの翻訳作業(ほんやくさぎょう)を後(のち)に記録(きろく)に残(のこ)しました。

言葉

誠(まこと)に艫舵(ろかじ)なき船(ふね)の大海(たいかい)に乗り出(のりだ)せしが如(し)く

読み・現代語:本当(ほんとう)に、櫓(ろ)(ろ)も舵(かじ)(かじ)もない船(ふね)で大海(たいかい)へ乗り出(のりだ)したようなものだった。

辞書(じしょ)も文法書(ぶんぽうしょ)もないままオランダ語(ご)の翻訳(ほんやく)に取(と)りかかった状況(じょうきょう)を、後(ご)に振り返(ふりかえ)った一節(いっせつ)です。無謀(むぼう)さを認(みと)めています。それでも始(はじ)めた。辞書(じしょ)や訳(やく)し方(かた)は、始(はじ)めてから自分(じぶん)たちで作(つく)った。その仕事(しごと)の記録(きろく)として読(よ)める言葉(ことば)です。

出典:杉田玄白(すぎたげんぱく)『蘭学事始(らんがくことはじめ)』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

翌日(よくじつ)、また集(あつ)まり、前日(ぜんじつ)の如(ごと)く数行(すうこう)の文(ぶん)をも読(よ)み得(え)ず

読み・現代語:翌日(よくじつ)また集(あつ)まったが、前(まえ)の日(ひ)と同(おな)じで、数行(すうこう)の文(ぶん)さえ読(よ)めなかった。

翻訳作業(ほんやくさぎょう)の進(すす)み具合(ぐあい)を書(か)いた一節(いっせつ)です。三年半(さんねんはん)かけて一冊(いちさつ)を訳(やく)した過程(かてい)は、この繰り返(くりかえ)しでした。成果(せいか)の大(おお)きさより、進(すす)まない日(ひ)の積み重(つみかさ)ねを書き残(かきのこ)したところに、この記録(きろく)の値打(ねう)ちがあります。

出典:杉田玄白(すぎたげんぱく)『蘭学事始(らんがくことはじめ)』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

この人の歩み

1733年(ねん)、江戸(えど)で小浜藩(おばまはん)の医師(いし)の家(いえ)に生(う)まれました。当時(とうじ)の医学(いがく)は中国由来(ちゅうごくゆらい)の理論(りろん)が中心(ちゅうしん)で、人体(じんたい)の内部(ないぶ)の記述(きじゅつ)は実物(じつぶつ)と食い違(くいちが)う点(てん)が多(おお)くありました。玄白(げんぱく)はオランダ語(ご)の解剖書(かいぼうしょ)『ターヘル・アナトミア』の図(ず)を見(み)て、その正確(せいかく)さに関心(かんしん)を持(も)ちます。

1771年(ねん)、前野良沢(まえのりょうたく)、中川淳庵(なかがわじゅんあん)らとともに、刑死者(けいししゃ)の解剖(かいぼう)に立ち会(たちあ)いました。図(ず)と実物(じつぶつ)が一致(いっち)することを確(たし)かめ、その場(ば)で翻訳(ほんやく)を決意(けつい)します。しかし、当時(とうじ)はオランダ語(ご)の辞書(じしょ)も文法書(ぶんぽうしょ)もほとんどありません。前野良沢(まえのりょうたく)が長崎(ながさき)で学(まな)んだわずかな知識(ちしき)を頼(たよ)りに、単語(たんご)の意味(いみ)を推測(すいそく)し、前後(ぜんご)の文脈(ぶんみゃく)から絞り込(しぼりこ)む作業(さぎょう)を続(つづ)けました。鼻(はな)の説明(せつめい)にある「フルヘッヘンド」という語(かたり)を、堆(うずたか)く盛り上(もりあ)がった状態(じょうたい)だと突き止(つきと)めるまでに一日(いちにち)かかった、という逸話(いつわ)が残(のこ)ります。三年半(さんねんはん)、月(つき)に数回集(すうかいあつ)まる作業(さぎょう)を重(かさ)ね、1774年(ねん)に『解体新書(かいたいしんしょ)』を刊行(かんこう)しました。誤訳(ごやく)もありましたが、西洋(せいよう)の学問(がくもん)を日本語(にほんご)で読(よ)める形(かたち)にした最初期(さいしょき)の成果(せいか)です。

1817年(ねん)に亡(な)くなりました。晩年(ばんねん)に書(か)いた『蘭学事始(らんがくことはじめ)』は、その翻訳作業(ほんやくさぎょう)の記録(きろく)です。

この言葉が映すもの

  • 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    実物(じつぶつ)と図(ず)を突き合(つきあ)わせ、権威(けんい)ある書物(しょもつ)より観察(かんさつ)を優先(ゆうせん)しました。

  • 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    辞書(じしょ)のない状態(じょうたい)で、三年半(さんねんはん)かけて一冊(いちさつ)の翻訳(ほんやく)をやり遂(と)げています。

  • 誰(だれ)も訳(やく)したことのない分野(ぶんや)に、手(て)がかりの乏(とぼ)しいまま踏み込(ふみこ)みました。

関わりのある人

  • 塙保己一の肖像

    塙保己一(はなわほきいち)

    はなわ ほきいち/1746–1821/江戸

    目(め)が見(み)えないまま、六百冊(ろくひゃくさつ)を編(あ)んだ人(ひと)

    七歳(ななさい)で失明(しつめい)したのち、耳(みみ)で学(まな)んで国学者(こくがくしゃ)となった人(ひと)です。散逸(さんいつ)しかけた古典(こてん)を集(あつ)めた『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』六百六十六冊(ろくひゃくろくじゅうろくさつ)を編(あ)みました。

  • 伊能忠敬の肖像

    伊能忠敬(いのうただたか)

    いのう ただたか/1745–1818/江戸

    五十歳(ごじゅうさい)から、日本(にっぽん)を歩(ある)いて測(はか)った人(ひと)

    商家(しょうか)を隠居(いんきょ)したあと天文学(てんもんがく)を学(まな)び直(なお)し、五十五歳(ごじゅうごさい)から十七年(じゅうななねん)かけて全国(ぜんこく)を測量(そくりょう)した人物(じんぶつ)です。歩測(ほそく)と天体観測(てんたいかんそく)で日本全図(にっぽんぜんず)をつくりました。

  • 福沢諭吉の肖像

    福沢諭吉(ふくざわゆきち)

    ふくざわ ゆきち/1835–1901/明治

    学(まな)ぶことを、独立(どくりつ)の条件(じょうけん)にした人(ひと)

    西洋(せいよう)の制度(せいど)と考え方(かんがえかた)を紹介(しょうかい)し、慶應義塾(けいおうぎじゅく)を開(ひら)いた思想家(しそうか)です。身分(みぶん)ではなく学問(がくもん)が人(ひと)の立場(たちば)を決(き)めると説(と)き、その本(ほん)は当時(とうじ)の大(だい)ベストセラーになりました。

近い言葉の人

同じ時代の人:宮本武蔵、貝原益軒、松尾芭蕉、近松門左衛門

出典

肖像:Ishikawa Tairō/Waseda.ac.jp https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_a0252/bunko08_a0252.pdf/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。