糸川英夫
いとかわ ひでお/Hideo Itokawa
1912–1999/大正・昭和(文化・学術)
- 工学者
- ロケット
長さ二十三センチから始めた宇宙開発
日本のロケット開発を始めた工学者です。戦闘機の設計から出発し、鉛筆ほどの小さなロケットを水平に発射する実験から宇宙への道を開きました。
言葉
逆転の発想
読み・現代語:行き詰まったら、前提のほうをひっくり返して考える。
自身の著書の題であり、仕事のしかたそのものを表す言葉です。垂直に打ち上げられないなら水平に飛ばして測ればよい。制約を嘆かずに、測り方の側を変えました。条件が足りない場面で効く考え方です。
ことばの意味
- 逆転の発想
- :行きづまったとき、前提のほうをひっくり返して考えること。
出典:糸川英夫『逆転の発想』(1974年)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
ジェット機で他国の後を追うよりも、ロケットで先へ出たい
航空機の分野で欧米に追いつく道より、まだ誰も先に進んでいない分野を選んだ理由として伝えられています。追いかける競争から降りて、別の土俵を選ぶ。資源が限られている側の戦い方です。
出典:ロケット研究を始めた理由として伝えられる発言出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります
この人の歩み
1912年、東京に生まれました。東京帝国大学の航空学科を出て中島飛行機に入り、戦闘機の設計に携わります。敗戦により航空機の研究開発は禁じられ、職を失いました。東京大学に移り、医学部と組んで脳波の計測装置を作るなど、分野を変えて研究を続けます。
1954年、東京大学に研究班を作り、ロケットの開発を始めました。予算も設備もありません。最初に作ったのは、全長二十三センチのペンシルロケットです。これを水平に発射し、途中に置いた紙のスクリーンを貫いた穴から、速度や姿勢を測りました。垂直に打ち上げれば追跡設備が要りますが、水平なら机の上の計測で足ります。この方式で基礎データを集め、順に大きくしていきました。1970年、日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功します。晩年は組織を離れ、創造性の研究や社会への提言を続けました。
1999年に亡くなりました。2003年に打ち上げられた探査機がたどり着いた小惑星は、その名から「イトカワ」と名づけられています。
この言葉が映すもの
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
誰も手をつけていない分野を選び、二十三センチのロケットから始めました。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
航空機の研究を禁じられたあと、脳波の計測など別の分野で研究を続けています。
- 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意
水平発射と紙のスクリーンという、手元の道具で測れる実験系を設計しました。
つながる人
関わりのある人
湯川秀樹
ゆかわ ひでき/1907–1981/大正・昭和(文化・学術)
日本人初のノーベル賞、その後に平和運動
中間子の存在を予言し、日本人として初めてノーベル賞を受けた物理学者です。受賞後は核兵器をなくす運動に長く関わり続けました。
西堀栄三郎
にしぼり えいざぶろう/1903–1989/大正・昭和(文化・学術)
石橋は叩いても渡れないと言った人
真空管の国産化や品質管理の普及に関わった技術者です。南極観測隊の第一次越冬隊長も務め、新しいことの始め方を書き残しました。
近い言葉の人
大野耐一
おおの たいいち/1912–1990/大正・昭和(文化・学術)
なぜを五回、繰り返させた人
トヨタ生産方式をまとめた技術者です。現場に立って無駄を数え、原因を五回さかのぼって突き止める方法を定着させました。
井深大
いぶか まさる/1908–1997/近現代の経営者
愉快な理想工場を、設立趣意書に書いた人
焼け跡の小さな工場からソニーを興した技術者です。技術者が自由に働ける場を作ることを、創業の目的として文章に残しました。
本田宗一郎
ほんだ そういちろう/1906–1991/近現代の経営者
失敗の数を隠さなかった技術者
町の修理工から出発し、二輪車で世界最大の生産規模に届く会社を育てた技術者です。自分の過去は失敗の連続だったと繰り返し語りました。
出典
- ウィキペディア日本語版「糸川英夫」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「ペンシルロケット」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「おおすみ_(人工衛星)」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。