吉田兼好
よしだ けんこう/Kenko Yoshida
生没年不詳/鎌倉・室町
- 随筆家
- 歌人
- 僧
満開でないものを、良いと言った人
『徒然草』を書いた随筆家です。満開の花や曇りのない月より、欠けたものや途中のものに見どころがあるという見方を言葉にしました。
言葉
つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて
読み・現代語:することもなく手持ちぶさたなまま、一日じゅう硯(すずり)に向かって。
『徒然草』の書き出しです。目的があって書いたのではない、と最初に断っています。思いついたことを順に書くという形を先に宣言することで、話題が飛んでも構わない自由な書物になりました。
出典:吉田兼好『徒然草』序段出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは
読み・現代語:花は満開のときだけ、月は曇りなく見えるときだけを見るものだろうか。
最も良い状態だけを価値あるものとする見方への問いです。咲く前の枝や、雨で見えない月にも見どころがあると続けます。欠けているものを積極的に選ぶという日本の美意識を、はっきり言葉にした一節です。
出典:吉田兼好『徒然草』第百三十七段出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
この人の歩み
生没年ははっきりしません。十三世紀の終わりごろに生まれ、朝廷に仕えたのち三十歳前後で出家したと考えられています。俗名は卜部兼好で、吉田兼好という呼び名は後世のものです。歌人としては当代の四天王に数えられました。
『徒然草』は二百四十余りの段からなります。書かれたのは十四世紀の前半、鎌倉幕府が倒れ、南北朝の争いが始まる時期でした。内容は一定しません。人としての心得、失敗談、職人や医者から聞いた話、身の回りの観察が並びます。核にあるのは、完全さを最上としない見方です。花は満開だけを、月は曇りのないものだけを見るものだろうか、と問い、咲く前や散った後、雨で見えない月にも見どころがあると書きました。この考え方は、後の茶の湯や日本の美意識に強い影響を与えます。あわせて、名利を追う人の滑稽さを冷静に観察した段も多く、辛口の批評が読みどころになっています。
没年は分かっていません。『徒然草』が広く読まれるようになったのは江戸時代に入ってからでした。
この言葉が映すもの
- 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て
満開や満月ではなく、欠けたもの、途中のものを選ぶ見方を言葉にしました。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
職人や医者など、身分の違う人から聞いた話を書き留めて材料にしています。
つながる人
関わりのある人


千利休
せん の りきゅう/1522–1591/戦国・安土桃山
引くことで、豊かさを見せた人
堺の商家に生まれ、狭い茶室と簡素な道具で、もてなしの形そのものを作り替えた茶人です。足すのではなく引くことで豊かさを見せる方法を示しました。
近い言葉の人


紫式部
むらさき しきぶ/生没年不詳/平安
人の心の動きを、初めて長編にした人
『源氏物語』を書いた作家です。恋や嫉妬、老いといった心の揺れを、五十四帖の長編として書ききり、日本語で書かれた文学の基準をつくりました。

出典
- ウィキペディア日本語版「吉田兼好」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「徒然草」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。