
紀貫之
き の つらゆき/Ki no Tsurayuki
生年不詳–945/平安
- 歌人
- 官人
和歌は心から生まれると書いた人
古今和歌集を編み、その序文で和歌とは何かを仮名で論じた歌人です。仮名で日々を書く日記も自ら試し、日記文学の形を開きました。
言葉
やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける
読み・現代語:和歌は、人の心を種として、たくさんの言葉の葉となったものである。
『古今和歌集』仮名序の冒頭です。歌を、決まりごとの集まりではなく心から育つものと定義しました。作品を評価する基準を、技術の外側に置いた宣言でもあります。日本語で書かれた最初期の文学論です。
出典:紀貫之『古今和歌集』仮名序出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり
読み・現代語:男が書くという日記というものを、女である私も書いてみようと思ってするのである。
『土佐日記』の書き出しです。男性である貫之が、女性のふりをして書き始めました。当時、仮名で書くには必要な設定でしたが、そのおかげで日々の心の動きを書く形が生まれています。
出典:紀貫之『土佐日記』冒頭出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
この人の歩み
生年は分かっていません。九世紀後半に生まれ、下級の官人として朝廷に仕えました。当時、公の文章は漢文で書くものとされ、仮名は私的な、あるいは女性の書くものと見られていました。
905年ごろ、醍醐天皇の命で『古今和歌集』の編纂に加わります。勅撰、つまり天皇の命で編まれる和歌集としては最初のものでした。貫之はその序文を仮名で書きます。冒頭で、和歌は人の心を種として生まれ、言葉となって外に出るものだと述べました。歌を、技巧の産物ではなく心の働きとして定義したことになります。この仮名序は、日本語で書かれた最初期の文学論とされています。930年から土佐守として四国へ赴任し、その帰りの旅を『土佐日記』に書きました。冒頭で、男が書くという日記を女の私も書いてみる、と断っています。女性のふりをすることで仮名で書き、その結果、日記文学という形が開かれました。
945年ごろに亡くなりました。仮名で何が書けるかを、実作で示した人です。
この言葉が映すもの
- 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て
歌を心から生まれるものと定義し、技巧の外側に価値の基準を置きました。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
漢文の教養を持ちながら、仮名で何が書けるかを実作で確かめています。
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
公の文章は漢文という前提を崩し、仮名の序文と仮名の日記を書きました。
つながる人
関わりのある人



紫式部
むらさき しきぶ/生没年不詳/平安
人の心の動きを、初めて長編にした人
『源氏物語』を書いた作家です。恋や嫉妬、老いといった心の揺れを、五十四帖の長編として書ききり、日本語で書かれた文学の基準をつくりました。
近い言葉の人
吉田兼好
よしだ けんこう/生没年不詳/鎌倉・室町
満開でないものを、良いと言った人
『徒然草』を書いた随筆家です。満開の花や曇りのない月より、欠けたものや途中のものに見どころがあるという見方を言葉にしました。

出典
- ウィキペディア日本語版「紀貫之」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「古今和歌集」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「土佐日記」(CC BY-SA 4.0)
肖像:作者不明/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。