ことのは年代記
内村鑑三の肖像

内村鑑三うちむらかんぞう

うちむら かんぞう/Kanzo Uchimura

1861–1930/明治

  • 思想家
  • 評論
  • 教育

後世こうせいなにのこすかをうたひと

教会きょうかいぞくさない信仰しんこういた思想家しそうかです。教育勅語きょういくちょくごへの敬礼けいれいをめぐってしょくうしない、開戦論かいせんろん大勢たいせいめるなかで日露戦争にちろせんあらそにも反対はんたいつづけました。

言葉

後世への最大遺物こうせいへのさいだいいぶついさましい高尚こうしょうなる生涯しょうがいである

読み・現代語:のこせるもっとおおきな贈り物おくりものは、いさましく気高けだか一生いっしょうそのものである。

講演こうえんをまとめた同名どうめいほん結論けつろんです。きん事業じぎょう思想しそうのこせないひとがいる、しかし生き方いきかただけはだれでものこせる、という順序じゅんじょかたられました。実績じっせきはなしをした最後さいごに、実績じっせきくてもよいとっています。

出典:内村鑑三うちむらかんぞう後世への最大遺物こうせいへのさいだいいぶつ出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

日露非開戦論者にちろひかいせんろんしゃである。戦争絶対的廃止論者せんあらそぜったいてきはいしろんしゃである

読み・現代語:わたし日露にちろ開戦かいせん反対はんたいするものであり、戦争せんあらそそのものを完全かんぜんになくすべきだとかんがえるものである。

開戦かいせんもとめるこえ大勢たいせいめていた時期じきに、新聞しんぶんいた文章ぶんしょうです。所属しょぞくしていた新聞社しんぶんしゃってまで主張しゅちょうつづけました。多数たすうちが位置いちつことの費用ひようを、実際じっさいはらったれいとしてめます。

出典:内村鑑三うちむらかんぞう非戦論ひせんろん(1903ねん出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

この人の歩み

1861ねん高崎藩たかさきはん武士ぶしいえまれました。札幌農学校さっぽろのうがっこう新渡戸稲造にとべいなぞうらとともにキリストきょう入信にゅうしんします。アメリカに留学りゅうがくし、帰国後きこくご教職きょうしょくきました。1891ねん勤務先きんむさき中学校ちゅうがっこう式典しきてんで、教育勅語きょういくちょくごへのれい十分じゅうぶんにしなかったとしてはげしい非難ひなんけます。不敬事件ふけいじけんばれ、しょくわれました。つまもこの騒動そうどうのなかでくなっています。

以後もっご著述ちょじゅつ生計せいけいてました。特定とくてい教会きょうかい組織そしきぞくさずに信仰しんこうつという立場たちばをとり、無教会むきょうかいばれます。日露戦争にちろせんあらそはじまると、開戦かいせん反対はんたいする論陣ろんじんりました。当時とうじ新聞しんぶん論調ろんちょうはほぼ主戦論しゅせんろんです。所属しょぞくしていた新聞社しんぶんしゃ退社たいしゃしてまで反対はんたいつづけました。1894ねん講演こうえんをまとめた『後世への最大遺物こうせいへのさいだいいぶつ』では、ひと後世こうせいのこせるものとして、きむ事業じぎょう思想しそうげ、それらをのこせないひとにものこせるものとして、いさましく高尚こうしょう生涯しょうがいそのものをげています。無数むすう若者わかものがこのほんみました。

1930ねんくなりました。組織そしきぞくさず、多数たすうちががわつづけたひとです。

この言葉が映すもの

  • (言と行を一致させる)言と行を一致させる

    しょく職場しょくばうしな場面ばめんで、主張しゅちょうげずにおなじことをつづけました。

  • (諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    不敬事件ふけいじけん社会的しゃかいてき立場たちばうしなったのちも、著述ちょじゅつ発言はつげんつづけています。

  • (学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    留学りゅうがく知識ちしきを、組織そしきぞくさない自前じまえ考え方かんがえかた作り直つくりなおしました。

関わりのある人

近い言葉の人

同じ時代の人:福沢諭吉渋沢栄一田中正造北里柴三郎

出典

肖像:益本重雄, 藤沢音吉/『内村鑑三伝』,内村鑑三伝刊行会,昭和10年,https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1223422/1/5/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。