ことのは年代記
空海の肖像

空海(くうかい)

くうかい/Kukai

774–835/平安

  • 僧
  • 書家
  • 教育

学(まな)びを、誰(だれ)にでも開(ひら)こうとした人(ひと)

唐(とう)で密教(みっきょう)を学(まな)んで持ち帰(もちかえ)り、真言宗(しんごんしゅう)を開(ひら)いた僧(そう)です。書(しょ)にも土木(どぼく)にも通(つう)じ、身分(みぶん)を問(と)わず学(まな)べる学校(がっこう)を都(と)に開(ひら)くなど、宗教(しゅうきょう)の外側(そとがわ)の仕事(しごと)も自分(じぶん)で引(ひ)き受(う)けました。

言葉

物(もの)の興廃(こうはい)は必(かなら)ず人(ひと)に由(よ)る、人(ひと)の昇沈(しょうちん)は定(さだ)めて道(みち)に在(あ)り

読み・現代語:物事(ものごと)が栄(さか)えるか衰(おとろ)えるかは人(ひと)しだいで、人(ひと)が伸(の)びるか沈(しず)むかは学(まな)ぶ道(みち)しだいだ。

庶民(しょみん)にも開(ひら)いた学校(がっこう)、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)の設立趣意書(せつりつしゅいしょ)に記(しる)した言葉(ことば)です。制度(せいど)や建物(たてもの)ではなく人(ひと)が決(き)め、その人(ひと)を決(き)めるのは教育(きょういく)だと言(い)い切(き)っています。学校(がっこう)をつくる理由(りゆう)を、これ以上短(もっうえみじか)く言(い)うのは難(むずか)しい一文(いちぶん)です。

ことばの意味

興廃(こうはい)
:栄えることと、おとろえること。

出典:空海(くうかい)「綜芸種智院式(しゅげいしゅちいんしき)并序(じょ)」(『性霊集(せいれいしゅう)』所収(しょしゅう))出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

医王(いおう)の目(め)には途(と)に触(ふ)れて皆薬(みなやく)なり、解宝(げほう)の人(ひと)は鉱石(こうせき)を宝(たから)と見(み)る

読み・現代語:名医(めいい)の目(め)には道(みち)ばたの草(くさ)もみな薬(やく)に見(み)え、宝(たから)を知(し)る人(ひと)には ただの石(いし)が宝(たから)に見(み)える。

『般若心経秘鍵(はんにゃしんきょうひかぎ)』の一節(いちせつ)です。同(おな)じ景色(けしき)でも、見(み)る力(ちから)のある人(ひと)にはそこに使(つか)えるものが見(み)えると説(と)いています。役に立(やくにた)つものを外(そと)から探(さが)す前(まえ)に、自分(じぶん)の見(み)る目(め)を鍛(たん)えよ、という順番(じゅんばん)の話(はなし)として読(よ)めます。

出典:空海(くうかい)『般若心経秘鍵(はんにゃしんきょうひかぎ)』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

虚空尽(こくうつ)き、衆生尽(しゅじょうつ)き、涅槃尽(ねはんつ)きなば、我(わ)が願(ねが)いも尽(つ)きなん

読み・現代語:空(そら)がなくなり、生(い)きものがいなくなり、悟(さと)りもなくなるなら、そのとき私(わたし)の願(ねが)いも終(お)わる。

空海(くうかい)の願文(がんもん)として伝(つた)わる一節(いっせつ)です。裏(うら)を返(かえ)せば、世界(せかい)がある限(かぎ)り願(ねが)いは終(お)わらないという宣言(せんげん)になります。目標(もくひょう)に期限(きげん)を切(き)らず、続(つづ)く限(かぎ)り続(つづ)けると決(き)めた人(ひと)の言い方(いいかた)として、いまも引用(いんよう)されます。

ことばの意味

衆生(しゅじょう)
:生きているものすべてのこと。人だけでなく動物も含みます。
涅槃(ねはん)
:迷いや苦しみが消えた状態のこと。
虚空(こくう)
:何もない広い空間のこと。空のこと。

出典:空海(くうかい)の願文(がんもん)(『性霊集(せいれいしゅう)』などに伝(つた)わる)出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

この人の歩み

774年(ねん)、讃岐国(さぬきくに)(いまの香川県(かがわけん))に生(う)まれました。都(と)の大学(だいがく)に入(はい)りますが、官吏(かんり)になる道(みち)に疑問(ぎもん)を持(も)って中退(ちゅうたい)し、山林(さんりん)で修行(しゅぎょう)を始(はじ)めます。804年(ねん)、遣唐使(けんとうし)の一行(いっこう)に加(くわ)わって唐(とう)へ渡(わた)りました。長安(ながやす)で恵果和尚(けいかわなお)に会(あ)い、わずか数(すう)か月(げつ)で密教(みっきょう)のすべてを受(う)け継(つ)いだと伝(つた)えられます。

806年(ねん)に帰国(きこく)し、高野山(こうやさん)に金剛峯寺(こんごうぶじ)を開(ひら)き、のちに東寺(とうじ)を与(あた)えられて真言宗(しんごんしゅう)の中心(ちゅうしん)としました。仕事(しごと)は宗教(しゅうきょう)だけにとどまりません。821年(ねん)には讃岐(さぬき)の満濃池(まんのういけ)の改修(かいしゅう)を指揮(しき)し、当時(とうじ)の技術(ぎじゅつ)で難工事(なんこうじ)を成功(せいこう)させています。828年(ねん)には、都(と)に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)という学校(がっこう)を開(ひら)きました。貴族(きぞく)の子(こ)だけでなく庶民(しょみん)にも門戸(もんこ)を開(ひら)き、食事(しょくじ)を出(だ)して学(まな)べるようにした点(てん)が当時(とうじ)としては異例(いれい)でした。書(しょ)にも優(すぐ)れ、嵯峨天皇(さがてんのう)らと並(なら)んで三筆(さんぴつ)に数(かぞ)えられます。

835年(ねん)、高野山(こうやさん)で亡(な)くなりました。全国(ぜんこく)に残(のこ)る弘法大師(こうぼうだいし)の伝説(でんせつ)の多(おお)さは、この人(ひと)が各地(かくち)を歩(ある)き、実際(じっさい)に人(ひと)の役に立(やくにた)つ仕事(しごと)をした記憶(きおく)の裏返(うらがえ)しとも言(い)われます。

この言葉が映すもの

  • 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ

    唐(とう)で受(う)け継(つ)いだ密教(みっきょう)を体系(たいけい)ごと持ち帰(もちかえ)り、日本(にっぽん)の言葉(ことば)と制度(せいど)に置(お)き直(なお)しました。

  • 満濃池(まんのういけ)の改修(かいしゅう)や庶民(しょみん)に開(ひら)いた学校(がっこう)など、教(おし)えの外側(そとがわ)の仕事(しごと)を自分(じぶん)で引(ひ)き受(う)けています。

  • 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意

    書(しょ)では三筆(さんぴつ)に数(かぞ)えられ、土木(どぼく)でも当時(とうじ)の難工事(なんこうじ)を実際(じっさい)に完成(かんせい)させました。

関わりのある人

近い言葉の人

同じ時代の人:菅原道真、紀貫之、紫式部、小野小町

出典

肖像:Anonymous Kamakura-period artist/https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kanko/kankoguide/rekishibunka/bunkazai/ken/kouboudaisizou_1fuku.html/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。