
本居宣長
もとおり のりなが/Norinaga Motoori
1730–1801/江戸
- 国学者
- 医師
三十五年かけて古事記を読み解いた人
医業のかたわら古典を研究した国学者です。読めなくなっていた古事記に三十五年をかけて注釈をつけ、物のあはれという読み方を示しました。
言葉
敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
読み・現代語:この国の人の心とは何かと尋ねられたら、朝日に照り映える山桜の花だと答えよう。
自画像に添えて詠んだ歌です。理屈で定義せず、朝の光に照らされた桜の情景に置き換えて答えました。後の時代に別の意味で使われた歌でもあり、いまは元の文脈に戻して読む必要があります。
ことばの意味
- 敷島
- :「大和(日本)」の前に置く飾りの言葉。
出典:本居宣長の自画像自賛の歌出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
物のあはれを知る
読み・現代語:物事に触れて、しみじみと心が動くのを分かる。
『源氏物語』の読み方として示した考え方です。教訓を取り出すのではなく、心が動くこと自体を文学の値打ちとしました。作品から役に立つ何かを探しがちなときに、思い出したい基準です。
ことばの意味
- 物のあはれ
- :物事にふれて、しみじみと心が動くこと。本居宣長が文学の大切な点としました。
出典:本居宣長『源氏物語玉の小櫛』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
この人の歩み
1730年、伊勢松坂の木綿商の家に生まれました。商いには向かず、京都で医学を学びます。松坂に戻って小児科医を開業し、生涯その仕事を続けました。研究はその合間に行われています。
三十代で『源氏物語』の研究に取り組み、それまで主流だった、教訓を読み取る解釈を退けました。物語の値打ちは、人の心の動きに触れて「あはれ」と感じるところにあると論じます。これが「もののあはれ」の説です。1763年、賀茂真淵に一度だけ会い、古事記の研究を勧められました。古事記は漢字だけで書かれ、当時すでに正確に読める人がいない状態でした。宣長は一文字ずつ用例を集め、読み方を決め、注釈をつけていきます。この作業に三十五年かかりました。完成した『古事記伝』は四十四巻におよびます。同時に、外国の考え方を借りずに古い日本語の意味を復元しようとした点で、後の思想にも影響を与えました。
1801年に亡くなりました。自ら描いた自画像に添えた歌が、その心の在り方として引かれ続けています。
この言葉が映すもの
- 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる
読める人のいなくなった古事記に、三十五年かけて注釈をつけ切りました。
- 学(学び続ける、外から学ぶ柔軟さ)学び続ける、外から学ぶ柔軟さ
用例を一つずつ集めて読み方を決める、地道な方法を自分で組み立てています。
- 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て
文学の値打ちを教訓ではなく、心が動くこと自体に置きました。
つながる人
関わりのある人

紫式部
むらさき しきぶ/生没年不詳/平安
人の心の動きを、初めて長編にした人
『源氏物語』を書いた作家です。恋や嫉妬、老いといった心の揺れを、五十四帖の長編として書ききり、日本語で書かれた文学の基準をつくりました。

近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「本居宣長」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「古事記伝」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「もののあはれ」(CC BY-SA 4.0)
肖像:Hannah/Japanese Book 『國文学名家肖像集』(Collection of portraits of famous national literature)/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。


