井深大
いぶか まさる/Masaru Ibuka
1908–1997/近現代の経営者
- 技術者
- 実業家
- 電機
愉快な理想工場を、設立趣意書に書いた人
焼け跡の小さな工場からソニーを興した技術者です。技術者が自由に働ける場を作ることを、創業の目的として文章に残しました。
言葉
真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設
読み・現代語:まじめな技術者がその力を最大限に発揮できる、自由でのびのびとした、愉快な理想の工場をつくる。
1946年の設立趣意書で、会社の目的の第一に置かれた一文です。何を作るかではなく、どんな場を作るかから書き始めました。働く条件のほうを先に設計する、という会社の作り方の例です。
ことばの意味
- 理想工場
- :技術者がのびのび働ける、理想の仕事場のこと。ソニーの設立趣意書に書かれました。
- 自由闊達
- :決まりにしばられず、のびのびとしていること。
出典:井深大「東京通信工業株式会社 設立趣意書」(1946年)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
他社のまねはやるまい
読み・現代語:他社の真似(まね)はやらないでおこう。
設立当初からの方針として伝えられています。同じものを安く作る競争に入らず、まだ無いものを出す道を選びました。トランジスタをラジオに使う判断も、この方針の延長にあります。何をやらないかを決めた例です。
出典:創業期の方針として伝えられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
この人の歩み
1908年、栃木に生まれました。早稲田大学で電気工学を学び、在学中に発明で表彰されています。戦後まもない1946年、盛田昭夫とともに東京通信工業を設立しました。焼け残ったビルの一室からの出発です。
井深がこのとき書いた設立趣意書は、いまも読み継がれています。会社の目的として最初に置かれたのは、儲けや規模ではなく、技術者が能力を発揮できる場を作ることでした。事業は、テープレコーダー、トランジスタラジオ、トリニトロン方式のテレビと続きます。特にトランジスタの技術を、当時は用途が定まらなかったラジオに応用した判断が、会社の方向を決めました。海外での事業拡大は盛田が担い、井深は技術の側に立ち続けます。社名をソニーに改めたのは1958年です。晩年は幼児教育に強い関心を持ち、著書を出して活動しました。
1997年に亡くなりました。会社は何のためにあるのかを、創業時に文章にしていた点が際立っています。
この言葉が映すもの
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
用途の定まらない新しい素子を、先に製品へ持ち込む判断をしました。
- 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意
経営の表に立たず、技術の側に残って自分で判断を続けています。
- 和(対立を調停し、場を保つ)対立を調停し、場を保つ
技術者がのびのび働ける場を作ることを、会社の第一の目的に書きました。
つながる人
関わりのある人
本田宗一郎
ほんだ そういちろう/1906–1991/近現代の経営者
失敗の数を隠さなかった技術者
町の修理工から出発し、二輪車で世界最大の生産規模に届く会社を育てた技術者です。自分の過去は失敗の連続だったと繰り返し語りました。
近い言葉の人
糸川英夫
いとかわ ひでお/1912–1999/大正・昭和(文化・学術)
長さ二十三センチから始めた宇宙開発
日本のロケット開発を始めた工学者です。戦闘機の設計から出発し、鉛筆ほどの小さなロケットを水平に発射する実験から宇宙への道を開きました。
西堀栄三郎
にしぼり えいざぶろう/1903–1989/大正・昭和(文化・学術)
石橋は叩いても渡れないと言った人
真空管の国産化や品質管理の普及に関わった技術者です。南極観測隊の第一次越冬隊長も務め、新しいことの始め方を書き残しました。
豊田喜一郎
とよだ きいちろう/1894–1952/近現代の経営者
織機の会社で、車を作り始めた人
織機メーカーの中に自動車部門を立ち上げた技術者です。必要なものを必要なときに必要なだけ流す考え方を持ち込み、のちの生産方式の土台をつくりました。
出典
- ウィキペディア日本語版「井深大」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「ソニー」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。