
一休宗純
いっきゅう そうじゅん/Ikkyu Sojun
1394–1481/鎌倉・室町
- 僧
- 詩人
建前を、笑いで崩した僧
権威や形式をきらい、規則から外れた振る舞いで知られる禅僧です。詩と狂歌で人の建前を突きながら、最晩年には焼けた大徳寺の再建を担いました。
言葉
門松は 冥途の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
読み・現代語:門松は、あの世への旅の道しるべだ。めでたくもあり、めでたくもない。
正月に詠んだ狂歌として伝えられています。新年を祝う場で、それは死に一年近づいた印でもあると言ってのけました。水を差す言葉ですが、めでたさを否定はしていません。両方あると認める言い方です。
ことばの意味
- 一里塚
- :昔の道で、距離の目印に置かれた塚のこと。ここでは人生の区切りのたとえです。
- 冥途
- :死んだあとに行くとされる世界のこと。
出典:一休の作として伝わる狂歌出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
有漏路より 無漏路へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け
読み・現代語:迷いの世界から悟りの世界へ帰る途中の一休み。雨が降るなら降ればいい、風が吹くなら吹けばいい。
一休という名の由来として伝わる歌です。人生を、目的地の間の短い休憩と見ています。だから途中の天気に腹を立てても仕方がない。うまくいかない時期の受け止め方として読める一首です。
ことばの意味
- 有漏路
- :迷いのあるこの世のこと。
- 無漏路
- :迷いのないあの世、悟りの世界のこと。
出典:一休の作として伝わる歌(名の由来として語られます)出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
この人の歩み
1394年に生まれました。後小松天皇の子だとする説がありますが、確かではありません。幼くして寺に入り、若いころは真面目な修行僧でした。師の華叟宗曇のもとで厳しい修行を積み、印可(悟りの証明)を受けます。しかし一休はその証書を受け取らなかったと伝えられます。
その後は寺を出て、町で暮らしました。酒を飲み、肉を食べ、詩を作る。堕落と見る人もいましたが、一休の側からすれば、形だけ守って中身のない僧のほうが問題でした。詩集『狂雲集』には、権威をあざける句と、自分の弱さを隠さない句が並んでいます。人々の間では、鋭い言葉で相手をやりこめる僧として親しまれました。
応仁の乱で京は焼け、大徳寺も失われます。八十歳を過ぎた一休は住持に任じられ、各地の支援を集めて再建にあたりました。形式をきらった人が、最後に組織の立て直しを引き受けています。1481年に亡くなりました。後世の説話集や物語を通じて、とんちの一休として広く知られるようになりました。
この言葉が映すもの
- 誠(言と行を一致させる)言と行を一致させる
形だけ整った修行を嫌い、自分の欠点も詩に書いて隠しませんでした。
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
僧のふるまいとされる枠から外に出て、町の人々と同じ場所で言葉を交わしました。
つながる人
関わりのある人

道元
どうげん/1200–1253/鎌倉・室町
ただ坐ることに、答えを置いた人
宋で学び、日本に曹洞宗を伝えた僧です。悟りを求めて坐るのではなく、坐ること自体が仏の姿だと説き、生活の細部まで修行として書き残しました。
近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「一休宗純」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「狂雲集」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「大徳寺」(CC BY-SA 4.0)
肖像:Bokusai/English Wikipedia, originally uploaded there by User:Vuvar1 on 4 July 2005./Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。

