まつもとゆきひろ
まつもと ゆきひろ/Yukihiro Matsumoto
1965–没年不詳/現代の技術者
- プログラマ
- 言語設計
楽しさを設計目標に置いた言語作者
プログラミング言語Rubyを作った技術者です。処理の速さより、書く人が読みやすく楽しく書けることを設計の目標に置きました。
言葉
Ruby言語の開発で飽きたり、辛く感じたりすることはなかった
読み・現代語:この言語を作る仕事で、飽きたことも、つらいと感じたこともなかった。
三十年以上ひとつの言語を作り続けている人の言葉です。続いた理由を、意志の強さではなく面白さで説明しています。長く続く仕事の条件を、根性の側に置かなかった点が特徴です。
出典:まつもとゆきひろのインタビューでの発言出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります
書く人が楽しいことを、いちばん大事にした
読み・現代語:言語を設計するとき、書く人にとって楽しいかどうかを最優先にした。
Rubyの設計方針として繰り返し語られてきた考え方です。速さや理論より、書き手の感じ方を上に置きました。道具を作る人が、使う人の気分を仕様に含めた例として読めます。
出典:Rubyの設計方針として語られてきたもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります
この人の歩み
1965年、大阪で生まれ、鳥取で育ちました。高校生のときにプログラミングに出会い、自分で言語を作りたいと考えるようになります。筑波大学で情報工学を学び、卒業後はソフトウェア会社に勤めました。既存の言語を使うなかで、書いていて気持ちのよい言語が見当たらないと感じたことが、開発の動機になります。
1993年、Rubyの開発を始めました。1995年に無償で公開し、誰でも使い、改造し、再配布できる形にします。設計の中心に置かれたのは、実行の速さでも理論の美しさでもなく、書く人が読みやすく感じることでした。同じ処理に複数の書き方を許すのも、書き手に選ばせるためです。2000年代に入り、ウェブアプリケーションを短く書ける仕組みが登場したことで、Rubyは世界中で使われるようになりました。開発の方針は公開の場で議論され、多くの人の提案が取り込まれています。作者は現在も改良を続け、後進の技術者を育てる活動にも関わっています。
日本で生まれたプログラミング言語が、国際規格になった数少ない例です。
この言葉が映すもの
- 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意
同じ処理に複数の書き方を許すなど、書き心地の細部まで設計しています。
- 利他(公のために働く)公のために働く
無償で公開し、誰でも使い改造できる形にして、議論も公開の場で行いました。
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
既存の言語に不満があると感じたところから、自分で言語を作り始めました。
つながる人
関わりのある人
岩田聡
いわた さとる/1959–2015/現代の技術者
社長になってもプログラマだった人
自分でコードを書き続けたゲーム開発者であり、任天堂の社長を務めた人です。技術者の立場から、遊ぶ人の側に立った製品を出しました。
近い言葉の人
糸川英夫
いとかわ ひでお/1912–1999/大正・昭和(文化・学術)
長さ二十三センチから始めた宇宙開発
日本のロケット開発を始めた工学者です。戦闘機の設計から出発し、鉛筆ほどの小さなロケットを水平に発射する実験から宇宙への道を開きました。
安藤百福
あんどう ももふく/1910–2007/近現代の経営者
四十八歳から、即席麺を作った人
事業に失敗して無一文になったあと、自宅の小屋で即席麺を発明した実業家です。食が足りてこそ世は平らかになると説きました。
井深大
いぶか まさる/1908–1997/近現代の経営者
愉快な理想工場を、設立趣意書に書いた人
焼け跡の小さな工場からソニーを興した技術者です。技術者が自由に働ける場を作ることを、創業の目的として文章に残しました。
同じ時代の人:岩田聡
出典
- ウィキペディア日本語版「まつもとゆきひろ」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「Ruby」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。