ことのは年代記

岡本太郎(おかもとたろう)

おかもと たろう/Taro Okamoto

1911–1996/大正・昭和(文化・学術)

  • 画家
  • 彫刻
  • 評論

調和(ちょうわ)より、ぶつかることを選(えら)んだ人(ひと)

パリで十年(じゅうねん)を過(す)ごし、縄文土器(じょうもんどき)の激(はげ)しさに日本美術(にっぽんびじゅつ)のもう一(ひと)つの系譜(けいふ)を見(み)た芸術家(げいじゅつか)です。大阪万博(おおさかばんぱく)の太陽(たいよう)の塔(とう)を作(つく)りました。

言葉

芸術(げいじゅつ)は爆発(ばくはつ)だ

読み・現代語:芸術(げいじゅつ)とは、内(うち)にたまったものが外(そと)へ一気(いっき)に出(で)ることだ。

本人(ほんにん)の言葉(ことば)として最(もっと)も知(し)られている一言(ひとこと)です。派手(はで)にやれという意味(いみ)ではなく、内側(うちがわ)にたまったものが外(そと)へ出(で)る状態(じょうたい)を指(さ)しています。作品(さくひん)も発言(はつげん)も、整(ととの)えるより先(さき)に出(だ)す。その姿勢(しせい)がそのまま短(みじか)くなった言葉(ことば)です。

出典:岡本太郎(おかもとたろう)の発言(はつげん)として広(ひろ)く知(し)られるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

「形(かたち)」でない形(かたち)、「色(いろ)」でない色(いろ)をうち出(だ)すべきだ

読み・現代語:すでにある「形(かたち)」でない形(かたち)を、すでにある「色(いろ)」でない色(いろ)を、自分(じぶん)で打ち出(うちだ)すべきだ。

すでにある形式(けいしき)に当(あ)てはめて作(つく)ることへの拒否(きょひ)です。うまく整(ととの)った絵(え)ではなく、まだ名前(なまえ)のついていないものを出(だ)そうとしました。真似(まね)ることから始(はじ)める学(まな)び方(かた)とは、逆側(ぎゃくがわ)にある考え方(かんがえかた)として読(よ)めます。

出典:岡本太郎(おかもとたろう)の言葉(ことば)として伝(つた)えられるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

この人の歩み

1911年(ねん)、漫画家(まんがか)の岡本一平(おかもといっぺい)と作家(さっか)の岡本(おかもと)かの子(こ)の子(こ)として生(う)まれました。十八歳(じゅうはちさい)で渡仏(わたりふつ)し、十年余(じゅうねんあま)りをパリで過(す)ごします。抽象絵画(ちゅうしょうかいが)の運動(うんどう)に加(くわ)わり、民族学(みんぞくがく)も学(まな)びました。第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん)で帰国(きこく)し、召集(しょうしゅう)されて中国戦線(ちゅうごくせんせん)へ送(おく)られます。戦後(せんご)、焼け跡(やけあと)から制作(せいさく)を始(はじ)め直(なお)しました。

1952年(ねん)、東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)で縄文土器(じょうもんどき)を見(み)て衝撃(しょうげき)を受(う)けます。当時(とうじ)、日本美術(にっぽんびじゅつ)といえば簡素(かんそ)で調和(ちょうわ)のとれたものとされていました。岡本(おかもと)はそこに、荒々(あらあら)しく非対称(ひたいしょう)な別(べつ)の系譜(けいふ)があると書(か)き、日本美術(にっぽんびじゅつ)の見方(みかた)を広(ひろ)げます。作品(さくひん)は絵画(かいが)にとどまらず、壁画(へきが)、彫刻(ちょうこく)、椅子(いす)や食器(しょっき)のデザインにも及(およ)びました。1970年(ねん)の大阪万博(おおさかばんぱく)では、テーマ館(かん)の太陽(たいよう)の塔(とう)を制作(せいさく)します。会場全体(かいじょうぜんたい)が未来(みらい)の進歩(しんぽ)を掲(かか)げるなかで、原始的(げんしてき)な形(かたち)の塔(とう)を置(お)きました。著書(ちょしょ)『自分(じぶん)の中(なか)に毒(どく)を持(も)て』などで、安全(あんぜん)な選択(せんたく)を選(えら)び続(つづ)けることへの疑問(ぎもん)を繰り返(くりかえ)し書(か)いています。

1996年(ねん)に亡(な)くなりました。太陽(たいよう)の塔(とう)は取り壊(とりこわ)されずに残(のこ)り、2018年(ねん)から内部(ないぶ)の公開(こうかい)も始(はじ)まっています。

この言葉が映すもの

  • 評価(ひょうか)の定(さだ)まった様式(ようしき)に乗(の)らず、縄文土器(じょうもんどき)のような見過(みす)ごされた系譜(けいふ)を掘り起(ほりお)こしました。

  • 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て

    簡素(かんそ)で整(ととの)った美(よし)とは別(べつ)の、非対称(ひたいしょう)で荒(あら)い美(うつく)しさを日本(にっぽん)の中(なか)に見(み)つけています。

関わりのある人

  • 柳宗悦(やなぎむねよし)

    やなぎ むねよし/1889–1961/大正・昭和(文化・学術)

    無名(むめい)の職人(しょくにん)の器(うつわ)に美(び)を見(み)た人(ひと)

    日々使(ひびつか)われる日用品(ひようひん)にこそ美(うつく)しさがあると説(と)き、民藝運動(みんげいうんどう)を始(はじ)めた思想家(しそうか)です。各地(かくち)を歩(ある)いて名(な)もない職人(しょくにん)の手仕事(てしごと)を集(あつ)め、記録(きろく)に残(のこ)しました。

  • 手塚治虫(てづかおさむ)

    てづか おさむ/1928–1989/大正・昭和(文化・学術)

    描(えが)く速(はや)さより、描(えが)く量(りょう)で道(みち)を作(つく)った人(ひと)

    戦後(せんご)の漫画(まんが)の形(かたち)を作(つく)り、テレビアニメの仕組(しく)みも立(た)ち上(あ)げた作家(さっか)です。生涯(しょうがい)に十五万枚(じゅうごまんまい)を超(こ)える原稿(げんこう)を描(えが)いたとされます。

近い言葉の人

同じ時代の人:牧野富太郎、樋口一葉、与謝野晶子、平塚らいてう

出典

肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。