豊田喜一郎
とよだ きいちろう/Kiichiro Toyoda
1894–1952/近現代の経営者
- 技術者
- 実業家
- 自動車
織機の会社で、車を作り始めた人
織機メーカーの中に自動車部門を立ち上げた技術者です。必要なものを必要なときに必要なだけ流す考え方を持ち込み、のちの生産方式の土台をつくりました。
言葉
必要なものを、必要なときに、必要なだけ
読み・現代語:必要なものを、必要なときに、必要な数だけ作って流す。
喜一郎が自動車の生産に持ち込んだ考え方で、ジャスト・イン・タイムと呼ばれます。作り置きをやめる代わりに、工程どうしを合わせる必要が出ます。無駄を減らすとは何かを、三つの条件で言い切った言葉です。
出典:豊田喜一郎が唱えたジャスト・イン・タイムの考え方出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります
日本人の頭と腕で自動車をつくる
読み・現代語:外国から買うのではなく、日本人自身の知恵と手で自動車を作る。
輸入車ばかりだった時代に、国産化を目指した理由として伝えられている言葉です。技術を買うのではなく身につける、という選択でした。分解して調べ、鋳造から覚え直した現場の作業が、この一行の中身です。
出典:自動車の国産化を志した際の言葉として伝えられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
この人の歩み
1894年、発明家・豊田佐吉の子として生まれました。東京帝国大学の工学部を出て、父の会社である豊田自動織機製作所に入ります。父が発明した自動織機の特許を英国企業へ譲った資金が、次の事業の元手になりました。喜一郎が選んだのは自動車です。当時の日本の道路を走る車はほとんどが輸入車で、国産は無謀と見られていました。
1933年、織機会社の中に自動車部を作ります。輸入車を分解して構造を調べ、鋳造や機械加工を自分たちで習得しました。1936年に乗用車を発表し、1937年にトヨタ自動車工業として独立します。喜一郎が持ち込んだ考え方が「ジャスト・イン・タイム」です。必要なものを、必要なときに、必要なだけ流す。在庫を抱えない代わりに工程を同期させるこの発想は、後に大野耐一らによってトヨタ生産方式として体系化されました。戦後の経営危機では、大規模な人員整理の責任をとって社長を辞任しています。
1952年、五十七歳で亡くなりました。国産車の量産は、その死の後に本格化します。
この言葉が映すもの
- 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意
輸入車を分解して構造を調べ、鋳造や加工を自分たちの手に移しました。
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
織機の会社の中で、成功の保証がない自動車事業を立ち上げています。
つながる人
関わりのある人
本田宗一郎
ほんだ そういちろう/1906–1991/近現代の経営者
失敗の数を隠さなかった技術者
町の修理工から出発し、二輪車で世界最大の生産規模に届く会社を育てた技術者です。自分の過去は失敗の連続だったと繰り返し語りました。
井深大
いぶか まさる/1908–1997/近現代の経営者
愉快な理想工場を、設立趣意書に書いた人
焼け跡の小さな工場からソニーを興した技術者です。技術者が自由に働ける場を作ることを、創業の目的として文章に残しました。
近い言葉の人
糸川英夫
いとかわ ひでお/1912–1999/大正・昭和(文化・学術)
長さ二十三センチから始めた宇宙開発
日本のロケット開発を始めた工学者です。戦闘機の設計から出発し、鉛筆ほどの小さなロケットを水平に発射する実験から宇宙への道を開きました。

豊田佐吉
とよだ さきち/1867–1930/近現代の経営者
機械が自分で異常に気づく仕組みを作った人
大工の家に生まれ、独学で自動織機を発明した人です。糸が切れたら機械が自分で止まる仕組みは、いまも生産現場の考え方の土台になっています。
まつもとゆきひろ
まつもと ゆきひろ/1965–没年不詳/現代の技術者
楽しさを設計目標に置いた言語作者
プログラミング言語Rubyを作った技術者です。処理の速さより、書く人が読みやすく楽しく書けることを設計の目標に置きました。
出典
- ウィキペディア日本語版「豊田喜一郎」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「トヨタ生産方式」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「トヨタ自動車」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。