
田中久重
たなか ひさしげ/Hisashige Tanaka
1799–1881/幕末・維新
- 技術者
- 発明家
からくり人形から蒸気機関まで作った人
からくり儀右衛門と呼ばれた発明家です。人形細工から万年時計、蒸気機関や電信機まで手がけ、七十代で東芝の源流となる工場を興しました。
言葉
知識は失敗より学ぶ。事を成就するには、志があり、忍耐があり、勇気があり、失敗があり、その後に、成就があるのである
読み・現代語:知識は失敗から学ぶものだ。事を成し遂げるには、志と忍耐と勇気があり、失敗があって、その後にようやく成就がある。
久重の言葉として伝えられています。成功の前に失敗を並べているところが、試作を重ねる人らしい順番です。うまくいった話だけを残さない。手を動かして覚えた人の書き方になっています。
出典:田中久重の語として伝えられるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります
この人の歩み
1799年、久留米の鼈甲細工師の家に生まれました。少年期からからくり人形を作り、興行で評判をとります。弓を射る人形や、茶を運ぶ人形は、ぜんまいとカムだけで一連の動作をこなす仕掛けでした。動く仕組みを自分で考え、部品を自分で削る。この作り方が生涯変わりません。
三十代で大坂や京へ出て、圧縮空気を使った灯明「無尽灯」を作り、暦学も学びました。1851年に完成させた万年自鳴鐘は、和時計の不定時法に対応しながら、太陽と月の動き、二十四節気、干支まで一台で表示します。歯車の設計だけで季節ごとに変わる時刻の刻みを追う機構でした。幕末には佐賀藩に招かれ、蒸気機関や蒸気船、大砲の製造に関わります。明治に入ると電信機の製造を手がけ、1875年、七十五歳で東京に工場を開きました。これが後の東芝につながります。
1881年に亡くなりました。細工物の職人が、そのまま近代の機械技術者になった例として語られます。
この言葉が映すもの
- 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意
からくり人形も万年時計も、仕組みを考え、部品を自分で削って作りました。
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
人形細工から蒸気機関、電信機へと、扱う技術を生涯にわたり乗り換え続けています。
- 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる
七十五歳で工場を開き、その事業が後の大企業につながりました。
つながる人
関わりのある人

伊能忠敬
いのう ただたか/1745–1818/江戸
五十歳から、日本を歩いて測った人
商家を隠居したあと天文学を学び直し、五十五歳から十七年かけて全国を測量した人物です。歩測と天体観測で日本全図をつくりました。

豊田佐吉
とよだ さきち/1867–1930/近現代の経営者
機械が自分で異常に気づく仕組みを作った人
大工の家に生まれ、独学で自動織機を発明した人です。糸が切れたら機械が自分で止まる仕組みは、いまも生産現場の考え方の土台になっています。
近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「田中久重」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「万年自鳴鐘」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「東芝」(CC BY-SA 4.0)
肖像:作者不明/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。

