ことのは年代記

出光佐三(いでみつさぞう)

いでみつ さぞう/Sazo Idemitsu

1885–1981/近現代の経営者

  • 実業家
  • 石油

社員(しゃいん)を解雇(かいこ)しなかった経営者(けいえいしゃ)

石油販売会社(せきゆはんばいかいしゃ)を一代(いちだい)で築(きず)いた経営者(けいえいしゃ)です。敗戦(はいせん)で事業(じぎょう)のすべてを失(うしな)った時(とき)も社員(しゃいん)を解雇(かいこ)せず、その方針(ほうしん)を生涯変(しょうがいか)えませんでした。

言葉

黄金(おうごん)の奴隷(どれい)たるなかれ

読み・現代語:金(きん)の奴隷(どれい)になってはいけない。

出光(いでみつ)が繰り返(くりかえ)し説(と)いた言葉(ことば)として伝(つた)えられています。もうけを否定(ひてい)したのではなく、金額(きんがく)を判断(はんだん)の最上位(さいじょうい)に置(お)くなという意味(いみ)でした。敗戦後(はいせんご)に社員(しゃいん)を解雇(かいこ)しなかった選択(せんたく)が、この言葉(ことば)と実際(じっさい)につながっています。

ことばの意味

黄金(おうごん)
:金のこと。ここではお金そのものを指します。

出典:出光佐三(いでみつさぞう)の語(かたり)として伝(つた)えられるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

一人(いちにん)もクビにしてはならん

読み・現代語:一人(いちにん)も解雇(かいこ)してはならない。

1945年(ねん)、海外(かいがい)の資産(しさん)をすべて失(うしな)った直後(ちょくご)の判断(はんだん)として伝(つた)えられています。事業(じぎょう)の見通(みとお)しが立(た)たない状態(じょうたい)での決定(けってい)でした。守(まも)るものを先(さき)に決(き)めてから方法(ほうほう)を探(さが)す、という順番(じゅんばん)がここに表(あらわ)れています。

出典:敗戦直後(はいせんちょくご)の発言(はつげん)として伝(つた)えられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません

この人の歩み

1885年(ねん)、福岡(ふくおか)に生(う)まれました。神戸高等商業学校(こうべこうとうしょうぎょうがっこう)で学(まな)び、石油(せきゆ)の小売(こうり)から事業(じぎょう)を始(はじ)めます。1911年(ねん)に門司(もじ)で出光商会(いでみつしょうかい)を創業(そうぎょう)しました。当時(とうじ)の石油販売(せきゆはんばい)は、業界(ぎょうかい)の取り決(とりき)めで販売地域(はんばいちいき)が細(こま)かく決(き)められていました。出光(いでみつ)は漁船(ぎょせん)に直接燃料(ちょくせつねんりょう)を売(う)るなど、その枠(わく)の外側(そとがわ)で商(あきな)いを広(ひろ)げ、たびたび業界(ぎょうかい)と衝突(しょうとつ)しています。

1945年(ねん)の敗戦(はいせん)で、海外(かいがい)の資産(しさん)をすべて失(うしな)いました。社員(しゃいん)は千人近(せんにんちか)く残(のこ)っています。出光(いでみつ)は解雇(かいこ)しないと決(き)め、ラジオの修理(しゅうり)や印刷(いんさつ)、農業(のうぎょう)まで、できる仕事(しごと)を手当(てあて)たり次第(しだい)に引(ひ)き受(う)けて食(く)いつなぎました。石油(せきゆ)の輸入(ゆにゅう)が再開(さいかい)されると事業(じぎょう)を立て直(たてなお)します。1953年(ねん)には、国際的(こくさいてき)な紛争(あらそ)のさなかにあったイランへタンカーを送(おく)り、直接石油(ちょくせつせきゆ)を買い付(かいつ)けました。国際的(こくさいてき)な圧力(あつりょく)に反(はん)する行動(こうどう)として大(おお)きな騒(さわ)ぎになりましたが、原油(げんゆ)の自主調達(じしゅちょうたつ)につながります。会社(かいしゃ)には出勤簿(しゅっきんぼ)も定年(ていねん)もなく、社員(しゃいん)を家族(かぞく)と呼(よ)ぶ経営(けいえい)を続(つづ)けました。

1981年(ねん)に九十五歳(きゅうじゅうごさい)で亡(な)くなりました。数字(すうじ)より人(ひと)を先(さき)に置(お)いた経営(けいえい)として、賛否(さんぴ)の両方(りょうほう)で語(かた)られます。

この言葉が映すもの

  • 誠(言と行を一致させる)言と行を一致させる

    人(ひと)を大切(たいせつ)にすると言(い)うだけでなく、事業(じぎょう)を失(うしな)った局面(きょくめん)でも解雇(かいこ)しませんでした。

  • 社員(しゃいん)とその家族(かぞく)の生活(せいかつ)を、会社(かいしゃ)の収支(しゅうし)より先(さき)に置(お)いて判断(はんだん)しています。

  • 業界(ぎょうかい)の取り決(とりき)めの外(そと)で商(あきな)いを広(ひろ)げ、原油(げんゆ)の自主調達(じしゅちょうたつ)にも踏み出(ふみだ)しました。

関わりのある人

近い言葉の人

  • 平塚らいてう(ひらつからいちょう)

    ひらつか らいちょう/1886–1971/大正・昭和(文化・学術)

    女性(じょせい)は太陽(たいよう)であったと書(か)いた人(ひと)

    女性(じょせい)だけの文芸雑誌(ぶんげいざっし)『青鞜(せいとう)』を創刊(そうかん)した思想家(しそうか)です。女性(じょせい)の自立(じりつ)と母性(ぼせい)の保護(ほご)を論(ろん)じ、戦後(せんご)は平和運動(たいらわうんどう)にも関(かか)わりました。

  • 与謝野晶子の肖像

    与謝野晶子(よさのあきこ)

    よさの あきこ/1878–1942/大正・昭和(文化・学術)

    言(い)ってはいけないことを歌(うた)にした人(ひと)

    情熱(じょうねつ)をそのまま詠(よ)んだ歌人(かじん)です。戦地(せんち)の弟(おとうと)を思(おも)う詩(し)や女性(じょせい)の自立(じりつ)を説(と)く評論(ひょうろん)も書(か)き、十一人(じゅういちにん)の子(こ)を育(そだ)てながら仕事(しごと)を続(つづ)けました。

  • 小林一三(こばやしいちぞう)

    こばやし いちぞう/1873–1957/近現代の経営者

    何(なに)も無(な)い沿線(えんせん)に、暮(く)らしを作(つく)った人(ひと)

    乗(の)る人(ひと)のいない鉄道(てつどう)を引(ひ)き受(う)け、沿線(えんせん)に住宅地(じゅうたくち)・遊園地(ゆうえんち)・劇場(げきじょう)・百貨店(ひゃっかてん)を作(つく)って、需要(じゅよう)そのものを生み出(うみだ)した実業家(じつぎょうか)です。私鉄経営(してつけいえい)の基本形(きほんけい)をつくりました。

同じ時代の人:広岡浅子、豊田佐吉、小林一三、松下幸之助

出典

肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。