小林一三
こばやし いちぞう/Ichizo Kobayashi
1873–1957/近現代の経営者
- 実業家
- 鉄道
- 興行
何も無い沿線に、暮らしを作った人
乗る人のいない鉄道を引き受け、沿線に住宅地・遊園地・劇場・百貨店を作って、需要そのものを生み出した実業家です。私鉄経営の基本形をつくりました。
言葉
下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ
読み・現代語:下足番(げそくばん=客の履物を預かる係)を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうすれば誰も君を下足番のままにしておかない。
若い社員に語ったとされる言葉です。任された仕事が小さいと感じたときに、まずその中で一番になれと言っています。仕事を選び直す前に、いまの持ち場で結果を出すという順番の話として読めます。
ことばの意味
- 下足番
- :お客さんのはき物をあずかる係のこと。
出典:小林一三が社員に語ったとされる言葉出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります
乗る人がいないなら、住む人をつくればよい
読み・現代語:乗る人がいないのなら、沿線に住む人のほうを増やせばよい。
田畑ばかりの沿線に鉄道を通すときの考え方を、後の人がこう要約しています。需要が足りないという前提を、条件のほうを変えて崩しました。住宅地・遊園地・劇場は、すべてこの発想から出ています。
出典:沿線開発の考え方として伝えられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
この人の歩み
1873年、山梨の商家に生まれました。慶應義塾を出て銀行に入りますが、思うように出世しません。1907年、大阪の私鉄の設立に関わることになります。予定の路線は、田畑ばかりで乗る人のいない区間でした。
小林の判断は、乗客を待つのではなく作ることでした。沿線の土地を買い、住宅地として分譲します。当時としては珍しい月賦での販売にし、給与生活者が家を持てるようにしました。終点には遊園地を置き、行き先を作ります。1913年には少女だけの歌劇団を旗揚げしました。のちの宝塚歌劇団です。梅田の駅には百貨店を作り、駅そのものを目的地にしました。鉄道を軸に、住む・遊ぶ・買うを一本につなぐこの形は、日本の私鉄経営の基本形になります。のちに東京宝塚劇場を作り、映画会社の経営にも関わりました。商工大臣を務めた時期もあります。
1957年に亡くなりました。無い需要を嘆くのではなく、需要が生まれる条件のほうを作った人として語られます。
この言葉が映すもの
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
鉄道会社が住宅も娯楽も百貨店も手がけるという、前例のない形を作りました。
- 利他(公のために働く)公のために働く
月賦での住宅販売など、給与生活者が手を届かせられる条件を用意しています。
つながる人
関わりのある人

広岡浅子
ひろおか あさこ/1849–1919/近現代の経営者
炭鉱に入り、銀行を興した人
両替商に嫁いだのち、自ら炭鉱と銀行の経営に乗り出した実業家です。晩年は女性が学べる場をつくることに力を注ぎました。
松下幸之助
まつした こうのすけ/1894–1989/近現代の経営者
物より先に、人を作ると言った人
町工場から世界的な電機メーカーを育てた経営者です。事業の目的を暮らしを豊かにすることに置き、人を育てる話を繰り返しました。
近い言葉の人
出光佐三
いでみつ さぞう/1885–1981/近現代の経営者
社員を解雇しなかった経営者
石油販売会社を一代で築いた経営者です。敗戦で事業のすべてを失った時も社員を解雇せず、その方針を生涯変えませんでした。
平塚らいてう
ひらつか らいちょう/1886–1971/大正・昭和(文化・学術)
女性は太陽であったと書いた人
女性だけの文芸雑誌『青鞜』を創刊した思想家です。女性の自立と母性の保護を論じ、戦後は平和運動にも関わりました。

渋沢栄一
しぶさわ えいいち/1840–1931/明治
日本資本主義の父
五百を超える会社の設立に関わった実業家です。もうけと道徳は両立すると説き、同時に六百近い社会事業にも生涯にわたって手を貸し続けました。
出典
- ウィキペディア日本語版「小林一三」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「宝塚歌劇団」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「阪急電鉄」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。