安藤百福
あんどう ももふく/Momofuku Ando
1910–2007/近現代の経営者
- 実業家
- 食品
四十八歳から、即席麺を作った人
事業に失敗して無一文になったあと、自宅の小屋で即席麺を発明した実業家です。食が足りてこそ世は平らかになると説きました。
言葉
食足世平
読み・現代語:食足りて、世は平らか。食べるものが行き渡ってはじめて、世の中は平和になる。
会社の理念として掲げた四字です。闇市で麺を待つ行列を見た経験が背景にあります。食品を作る理由を、商売の外側の言葉で置きました。何のための事業かを、短く言い切った例です。
ことばの意味
- 食足世平
- :食べるものが行きわたって、はじめて世の中は平和になる、という考え方のこと。
出典:安藤百福が掲げた理念(日清食品の社是)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
人生に遅すぎるということはない
読み・現代語:何かを始めるのに、遅すぎるということはない。
無一文になった四十七歳から研究を始め、四十八歳で製品を出した人の言葉として語られています。実際の年齢が根拠になっているぶん、励ましというより事実の報告に近く聞こえます。
出典:安藤百福の語として伝えられるもの出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません
この人の歩み
1910年、日本統治下の台湾に生まれました。若くして繊維の商いを始め、戦後は日本で製塩や食品の事業を手がけます。1957年、理事長を務めていた信用組合が破綻し、財産のほとんどを失いました。四十七歳のときです。
手元に残った自宅の裏庭に小屋を建て、一人で研究を始めます。着想の原点は、敗戦直後の闇市で、ラーメンの屋台に人が長い列を作っていた光景でした。湯を注ぐだけで食べられる麺を作れないか。油で揚げて水分を飛ばすと、湯で元に戻ることを発見します。1958年、四十八歳でチキンラーメンを発売しました。1971年には、容器と食器を兼ねるカップ麺を発売します。海外での食べ方を見て、丼と箸を前提にしない形にしたものでした。事業を大きくしたあとも、開発の現場に立ち続けています。食が足りてこそ世の中は平和になるという考えを、会社の理念に置きました。
2007年、九十六歳で亡くなりました。前日までゴルフをしていたと伝えられます。
この言葉が映すもの
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
湯を注ぐだけで食べられる麺という、それまで無かった食品を作りました。
- 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる
破産と再出発を経て、四十代後半から一人で試作を続けています。
- 利他(公のために働く)公のために働く
食べるものが行き渡ることを、事業の目的として理念に置きました。
つながる人
関わりのある人
松下幸之助
まつした こうのすけ/1894–1989/近現代の経営者
物より先に、人を作ると言った人
町工場から世界的な電機メーカーを育てた経営者です。事業の目的を暮らしを豊かにすることに置き、人を育てる話を繰り返しました。
稲盛和夫
いなもり かずお/1932–2022/近現代の経営者
動機は善か、と自分に問うた経営者
京セラを創業し、通信会社を興し、経営破綻した航空会社を立て直した経営者です。判断の前に動機を確かめる方法を説きました。
近い言葉の人
湯川秀樹
ゆかわ ひでき/1907–1981/大正・昭和(文化・学術)
日本人初のノーベル賞、その後に平和運動
中間子の存在を予言し、日本人として初めてノーベル賞を受けた物理学者です。受賞後は核兵器をなくす運動に長く関わり続けました。
本田宗一郎
ほんだ そういちろう/1906–1991/近現代の経営者
失敗の数を隠さなかった技術者
町の修理工から出発し、二輪車で世界最大の生産規模に届く会社を育てた技術者です。自分の過去は失敗の連続だったと繰り返し語りました。

宮沢賢治
みやざわ けんじ/1896–1933/大正・昭和(文化・学術)
ほとんど読まれずに書き続けた人
岩手で農業を教えながら詩と童話を書いた人です。生前に世へ出た作品はごくわずかで、手帳や原稿が見つかった死後に読者が広がりました。
出典
- ウィキペディア日本語版「安藤百福」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「チキンラーメン」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「カップヌードル」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。