
与謝野晶子
よさの あきこ/Akiko Yosano
1878–1942/大正・昭和(文化・学術)
- 歌人
- 作家
- 評論家
言ってはいけないことを歌にした人
情熱をそのまま詠んだ歌人です。戦地の弟を思う詩や女性の自立を説く評論も書き、十一人の子を育てながら仕事を続けました。
言葉
あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふことなかれ
読み・現代語:ああ弟よ、あなたのために泣く。どうか死なないでほしい。
日露戦争に出征した弟へ向けて、1904年の雑誌に発表した詩の冒頭です。戦争のさなかに公にしたため強い非難を受けました。国の大きな話より、目の前の一人の命を先に置いた言葉として読まれています。
出典:与謝野晶子「君死にたまふこと勿れ」(『明星』1904年)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
読み・現代語:やわらかな肌の熱い血にふれもしないで、道徳を説くあなたは寂しくないのですか。
歌集『みだれ髪』の一首です。生きている体を差し置いて理屈だけを語る相手に、静かに問い返しています。当時としては露骨だと言われました。感じていることを隠さない、という選択がここにあります。
出典:与謝野晶子『みだれ髪』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
山の動く日来る
読み・現代語:山が動く日が来る。
1911年、女性たちの雑誌『青鞜』の創刊号に寄せた詩の冒頭です。長く眠っていたものが動き出す、という宣言でした。声を上げにくい場所にいる人へ向けた、短くて強い一行として引かれ続けています。
出典:与謝野晶子「そぞろごと」(『青鞜』創刊号 1911年)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
この人の歩み
1878年、堺の和菓子屋の家に生まれました。店番をしながら『源氏物語』などの古典を読みふけります。二十代で歌の雑誌『明星』に参加し、主宰する与謝野鉄幹と出会いました。1901年、第一歌集『みだれ髪』を刊行します。体と感情を隠さずに詠んだ歌は、当時の道徳から見れば大胆で、批判と熱狂の両方を集めました。
1904年、日露戦争に出征した弟に向けて「君死にたまふこと勿れ」を発表します。国を挙げて戦っている最中に、身内の命を優先する言葉を公にしたため、非国民だという非難を受けました。晶子は反論の文章を書いて引き下がっていません。その後も評論を書き続け、女性の経済的な自立、母性保護のあり方、教育の機会について論じました。1921年には夫らと文化学院の創設に加わり、男女共学の学校を作っています。生涯で五万首を超える歌を詠み、『源氏物語』の現代語訳も三度手がけました。
1942年に亡くなりました。十一人の子を育てながら書き続けた人でもあります。
この言葉が映すもの
- 進取(未知へ踏み出す)未知へ踏み出す
女性が書くことを期待されなかった領域へ、歌でも評論でも先に踏み込みました。
- 誠(言と行を一致させる)言と行を一致させる
非難を受けても取り下げず、自分の言葉で反論を書いています。
- 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て
理屈で説明せず、体の感覚と情景で言い切る歌の形を作りました。
つながる人
関わりのある人

樋口一葉
ひぐち いちよう/1872–1896/大正・昭和(文化・学術)
十四か月で書ききった作家
貧しさと闘いながら小説を書いた作家です。最後の一年余りに『たけくらべ』などの代表作が集中し、二十四歳で亡くなりました。

近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「与謝野晶子」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキクォート日本語版「与謝野晶子」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「みだれ髪」(CC BY-SA 4.0)
肖像:Unknown authorUnknown author/This image is available from the website of the National Diet Library/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。
