ことのは年代記
千利休の肖像

千利休(せんのりきゅう)

せん の りきゅう/Sen no Rikyu

1522–1591/戦国・安土桃山

  • 茶人
  • 商人

引(ひ)くことで、豊(ゆた)かさを見(み)せた人(ひと)

堺(さかい)の商家(しょうか)に生(う)まれ、狭(せま)い茶室(ちゃしつ)と簡素(かんそ)な道具(どうぐ)で、もてなしの形(かたち)そのものを作り替(つくりか)えた茶人(ちゃじん)です。足(た)すのではなく引(ひ)くことで豊(ゆた)かさを見(み)せる方法(ほうほう)を示(しめ)しました。

言葉

茶の湯(ちゃのゆ)とは ただ湯(ゆ)をわかし茶(ちゃ)をたてて 飲(の)むばかりなる事(こと)と知(し)るべし

読み・現代語:茶の湯(ちゃのゆ)とは、湯(ゆ)を沸(わ)かし、茶(ちゃ)をたてて飲(の)む。それだけのことだと知(し)りなさい。

利休(りきゅう)の教(おし)えを弟子(でし)がまとめたとされる歌(うた)の一(ひと)つです。作法(さほう)や道具(どうぐ)の格(かく)を競(きそ)うより、目(め)の前(まえ)の一杯(いちはい)を丁寧(ていねい)にすることが本体(ほんたい)だと説(と)いています。手順(てじゅん)が増(ふ)えて目的(もくてき)を見失(みうしな)いかけたとき、戻(もど)る場所(ばしょ)を示(しめ)してくれます。

ことばの意味

茶の湯(ちゃのゆ)
:お茶をたてて客をもてなす作法のこと。茶道ともいいます。

出典:利休道歌(りきゅうどうか)(『南方録(なんぼうろく)』などに収録(しゅうろく)。成立(せいりつ)には諸説(しょせつ)あります)出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

一期(いちご)に一度(いちど)の会(かい)

読み・現代語:この集(あつ)まりは、一生(いっしょう)に一度(いちど)きりのものだ。

弟子(でし)の山上宗二(やまがみそうじ)が、師(し)の心得(こころえ)として書き残(かきのこ)した言葉(ことば)です。同(おな)じ顔(かお)ぶれ、同(おな)じ季節(きせつ)の茶会(ちゃかい)は二度(にど)と来(こ)ないと考(かんが)え、その一回(いちかい)に手(て)を尽(つ)くす。のちに「一期一会(いちごいちかい)」として広(ひろ)まりました。相手(あいて)と過(す)ごす時間(じかん)の数(かぞ)え方(かた)を変(か)える言葉(ことば)です。

ことばの意味

一期(いちご)
:生まれてから死ぬまでの一生のこと。

出典:山上宗二(やまがみそうじ)『山上宗二記(やまのうえそうじき)』出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります

茶(ちゃ)は服(ふく)のよきように点(た)て、炭(すみ)は湯(ゆ)の沸(わ)くように置(お)き

読み・現代語:茶(ちゃ)は飲(の)む人(ひと)にちょうどよいように点(た)て、炭(すみ)は湯(ゆ)がきちんと沸(わ)くように置(お)く。

「利休七則(りきゅうななのり)」として伝(つた)わる心得(こころえ)の書き出(かきだ)しです。答(こた)えは相手(あいて)と目的(もくてき)の側(がわ)にあり、決(き)まった正解(せいかい)を覚(おぼ)えることではないと示(しめ)しています。当たり前(あたりまえ)すぎて拍子抜(ひょうしぬ)けしますが、そこを外(はず)さないことが難(むずか)しいという教(おし)えです。

ことばの意味

服のよき(ふくのよき)
:飲む人にちょうどよい濃さ、という意味。「服」はお茶を飲むことです。

出典:利休七則(りきゅうななのり)(後世(こうせい)に伝(つた)えられた教(おし)え)出典の確度:伝承。後世に語り伝えられてきた言葉で、本人の発言とは確認できていません

この人の歩み

1522年(ねん)、堺(さかい)の魚問屋(さかなとんや)の家(いえ)に生(う)まれました。若(わか)くして茶の湯(ちゃのゆ)を学(まな)び、武野(むの)紹鴎(かもめ)らの流(なが)れを受(う)け継(つ)ぎます。堺(さかい)は南蛮貿易(なんばんぼうえき)でにぎわう自治都市(じちとし)で、商(あきな)いと文化(ぶんか)が近(ちか)い場所(ばしょ)でした。派手(はで)な唐物(とうぶつ)をそろえる茶(ちゃ)とは別(べつ)に、簡素(かんそ)な道具(どうぐ)に美(び)を見(み)る考え方(かんがえかた)が、この町(まち)で育(そだ)っていきます。

織田信長(おだのぶなが)、続(つづ)いて豊臣秀吉(とよとみひでよし)に茶頭(さどう)として仕(つか)え、政治(せいじ)の場(ば)に近(ちか)いところで茶会(ちゃかい)を取り仕切(とりしき)りました。二畳(にじょう)ほどの茶室(ちゃしつ)「待庵(たいあん)」に代表(だいひょう)される狭(せま)い空間(くうかん)、にじり口(ぐち)をくぐって身分(みぶん)を置(お)いてくる作法(さほう)、竹(たけ)の花入(はないれ)や楽茶碗(らくぢゃわん)といった飾(かざ)らない道具(どうぐ)。利休(りきゅう)が整(ととの)えたこれらは、後(ご)に「わび茶(ちゃ)」と呼(よ)ばれます。名(な)のある茶碗(ちゃわん)を買(か)い集(あつ)めるのではなく、日用(にちよう)の器(うつわ)のなかに美(び)を見立(みた)てる方法(ほうほう)を示(しめ)しました。

1591年(ねん)、秀吉(ひでよし)の命(いのち)により切腹(せっぷく)します。理由(りゆう)は諸説(しょせつ)あり、はっきりしていません。利休(りきゅう)の茶(ちゃ)は表千家(おもてせんけ)・裏千家(うらせんけ)・武者小路千家(むしゃのこうじせんいえ)へ受(う)け継(つ)がれ、簡素(かんそ)さを豊(ゆた)かさとみなす見方(みかた)は、建築(けんちく)やデザインの分野(ぶんや)にも影響(えいきょう)を残(のこ)しました。

この言葉が映すもの

  • 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て

    道具(どうぐ)を足(た)すのではなく減(へ)らし、空(あ)いた場所(ばしょ)に意味(いみ)を置(お)く方法(ほうほう)を確立(かくりつ)しました。

  • 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意

    茶碗(ちゃわん)、花入(はないれ)、茶室(ちゃしつ)の寸法(すんぽう)まで自分(じぶん)で選(えら)び直(なお)し、細部(さいぶ)を作(つく)り手(しゅ)として決(き)めています。

  • 和(対立を調停し、場を保つ)対立を調停し、場を保つ

    身分(みぶん)の違(ちが)う客(きゃく)が同(おな)じ小(ちい)さな部屋(へや)に入(はい)る作法(さほう)を整(ととの)え、その場(ば)を成り立(なりた)たせました。

関わりのある人

  • 織田信長の肖像

    織田信長(おだのぶなが)

    おだ のぶなが/1534–1582/戦国・安土桃山

    古(ふる)い仕組(しく)みを、壊(こわ)してつくり直(なお)した人(ひと)

    尾張(おわり)の一大名(いちだいみょう)から天下統一(てんかとういつ)の一歩手前(いちほてまえ)まで進(すす)んだ武将(ぶしょう)です。市(し)や関所(せきしょ)のきまりを作り替(つくりか)え、鉄砲(てっぽう)の運用(うんよう)や築城(ちくじょう)でも、前例(ぜんれい)のない手(て)を先(さき)に試(ため)しました。

  • 豊臣秀吉の肖像

    豊臣秀吉(とよとみひでよし)

    とよとみ ひでよし/1537–1598/戦国・安土桃山

    身分(みぶん)の壁(かべ)を、自分(じぶん)でこえた人(ひと)

    尾張(おわり)の農民(のうみん)の家(いえ)から関白(かんぱく)まで上(あ)がり、天下統一(てんかとういつ)を成し遂(なしと)げた武将(ぶしょう)です。検地(けんち)と刀狩(かたながり)で社会(しゃかい)のしくみを整(ととの)えた一方(いっぽう)、朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)は大(おお)きな犠牲(ぎせい)を生(う)みました。

近い言葉の人

同じ時代の人:武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉

出典

肖像:painted by 長谷川等伯, calligraphy by 春屋宗園/1. Brill.com [1], 2. Omotesenke.com [2] , Omotesenke Fushin'an Foundation/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。