ことのは年代記
鴨長明の肖像

鴨長明(かものちょうめい)

かもの ちょうめい/Kamo no Chomei

1155–1216/鎌倉・室町

  • 随筆家
  • 歌人
  • 僧

災害(さいがい)の記録(きろく)を、書き残(かきのこ)した人(ひと)

『方丈記(ほうじょうき)』を書(か)いた随筆家(ずいひつか)です。都(と)を襲(おそ)った火災(かさい)・飢饉(ききん)・地震(じしん)を具体的(ぐたいてき)に記録(きろく)し、小(ちい)さな組み立(くみた)て式(しき)の庵(あん)で晩年(ばんねん)を過(す)ごしました。

言葉

ゆく河(かわ)の流(なが)れは絶(た)えずして、しかももとの水(みず)にあらず

読み・現代語:流(なが)れていく川(かわ)の水(みず)は絶(た)えることがないが、それはもとの水(みず)ではない。

『方丈記(ほうじょうき)』の書き出(かきだ)しです。同(おな)じに見(み)えるものの中身(なかみ)が入れ替(いれか)わり続(つづ)けている、という観察(かんさつ)を、川(かわ)の一行(いっこう)で示(しめ)しました。この後(のち)に、都(と)の家(いえ)と人(ひと)も同(おな)じだと続(つづ)きます。理屈(りくつ)の前(まえ)に、まず見(み)た事実(じじつ)を置(お)く書き方(かきかた)です。

出典:鴨長明(かものちょうめい)『方丈記(ほうじょうき)』冒頭(ぼうとう)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

その、あるじとすみかと、無常(むじょう)を争(あらそ)ふさま、いはば朝顔(あさがお)の露(ろ)に異(こと)ならず

読み・現代語:住(す)む人(ひと)と住(す)まいが、どちらが先(さき)に消(き)えるかを競(きそ)っている様子(ようす)は、朝顔(あさがお)とその露(つゆ)のようなものだ。

家(いえ)と住人(じゅうにん)のどちらが先(さき)になくなるか分(わ)からない、という観察(かんさつ)です。災害(さいがい)を続(つづ)けて見(み)てきた人(ひと)の実感(じっかん)でした。持ち家(もちいえ)を前提(ぜんてい)にしない生き方(いきかた)へ進(すす)む理由(りゆう)が、ここで先(さき)に示(しめ)されています。

ことばの意味

無常(むじょう)
:すべてのものは同じ形のままではいられない、という考え方のこと。

出典:鴨長明(かものちょうめい)『方丈記(ほうじょうき)』出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

この人の歩み

1155年(ねん)、京(きょう)の下鴨神社(しもがもじんじゃ)の神職(しんしょく)の家(いえ)に生(う)まれました。父(ちち)の死(し)により、継(つ)ぐはずだった社(しゃ)の職(しょく)に就(つ)けません。歌人(かじん)としては認(みと)められ、和歌所(わかところ)の職(しょく)に加(くわ)えられますが、望(のぞ)んだ神職(しんしょく)の座(ざ)は最後(さいご)まで得(え)られませんでした。五十歳(ごじゅうさい)を過(す)ぎて出家(しゅっけ)します。

長明(ちょうめい)が生(い)きた時代(じだい)の京都(きょうと)は、災害(さいがい)が続(つづ)きました。1177年(ねん)の大火(たいか)では市街(しがい)の三分(さんぶん)の一(いち)が焼(や)け、1180年(ねん)の竜巻(たつまき)、同年(どうねん)の遷都(せんと)による混乱(こんらん)、1181年(ねん)からの飢饉(ききん)では死者(ししゃ)が四万人(よんまんにん)を超(こ)えたと記(しる)します。1185年(ねん)の地震(じしん)では山(やま)が崩(くず)れ、地面(じめん)が裂(さ)けました。『方丈記(ほうじょうき)』の前半(ぜんはん)は、これらを見(み)た人(ひと)の記録(きろく)です。何(なに)がどう壊(こわ)れ、人(ひと)がどう死(し)んだかを、感情(かんじょう)を抑(おさ)えて具体的(ぐたいてき)に書(か)いています。後半(こうはん)は自分(じぶん)の暮(く)らしの話(はなし)です。日野山(ひのやま)に建(た)てた庵(あん)は、方丈(ほうじょう)、つまり一辺三(いちへんさん)メートルほどの広(ひろ)さで、解体(かいたい)して運(はこ)べる造(つく)りでした。家(いえ)を持(も)たないのではなく、動(うご)かせる家(いえ)にするという選択(せんたく)です。

1216年(ねん)に亡(な)くなりました。無常(むじょう)を嘆(なげ)くだけの本(ほん)ではなく、災害(さいがい)の一次記録(いちじきろく)として読(よ)まれてもいます。

この言葉が映すもの

  • 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て

    嘆(なげ)きを直接書(ちょくせつか)かず、川(かわ)と朝顔(あさがお)の露(あらわ)に置き換(おきか)えて移(うつ)ろいを見(み)せました。

  • 誠(言と行を一致させる)言と行を一致させる

    災害(さいがい)の被害(ひがい)を誇張(こちょう)も同情(どうじょう)もせず、数(かず)と情景(じょうけい)で具体的(ぐたいてき)に書き残(かきのこ)しています。

  • 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    望(のぞ)んだ職(しょく)を得(え)られないまま、書(か)くことと歌(うた)を最後(さいご)まで続(つづ)けました。

関わりのある人

近い言葉の人

  • 北条政子(ほうじょうまさこ)

    ほうじょう まさこ/1157–1225/鎌倉・室町

    御家人(ごけにん)の前(まえ)で、演説(えんぜつ)をした人(ひと)

    源頼朝(みなもとよりとも)の妻(つま)であり、夫(おっと)と息子(むすこ)たちの死後(しご)、実質的(じっしつてき)に幕府(ばくふ)を率(ひき)いた人(ひと)です。承久(うけたまわひさ)の乱(らん)では御家人(ごけにん)を前(まえ)に演説(えんぜつ)して結束(けっそく)させました。

  • 道元の肖像

    道元(どうげん)

    どうげん/1200–1253/鎌倉・室町

    ただ坐(すわ)ることに、答(こた)えを置(お)いた人(ひと)

    宋(そう)で学(まな)び、日本(にっぽん)に曹洞宗(そうとうしゅう)を伝(つた)えた僧(そう)です。悟(さと)りを求(もと)めて坐(すわ)るのではなく、坐(すわ)ること自体(じたい)が仏(ふつ)の姿(すがた)だと説(と)き、生活(せいかつ)の細部(さいぶ)まで修行(しゅぎょう)として書き残(かきのこ)しました。

  • 日蓮の肖像

    日蓮(にちれん)

    にちれん/1222–1282/鎌倉・室町

    国(くに)に向(む)かって諫言(げん)した僧(そう)

    日蓮宗(にちれんむね)の開祖(かいそ)です。続(つづ)く災害(さいがい)と飢饉(ききん)の原因(げんいん)を国(くに)の姿勢(しせい)に求(もと)めて幕府(ばくふ)に諫言(げん)し、庵(あん)を焼(や)かれ、二度(にど)の流罪(るざい)と処刑寸前(しょけいすんぜん)の場面(ばめん)を経験(けいけん)しました。

同じ時代の人:北条政子、親鸞、道元、日蓮

出典

肖像:作者不明/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。