
樋口一葉
ひぐち いちよう/Ichiyo Higuchi
1872–1896/大正・昭和(文化・学術)
- 作家
- 歌人
十四か月で書ききった作家
貧しさと闘いながら小説を書いた作家です。最後の一年余りに『たけくらべ』などの代表作が集中し、二十四歳で亡くなりました。
言葉
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く
読み・現代語:回り道をすれば大門の見返り柳までは遠いけれど、溝に灯りが映る三階のにぎわいは手に取るように聞こえる。
『たけくらべ』の書き出しです。遊郭の外側から、その中の音と灯りだけを描いています。善悪を言わずに場所を立ち上げるこの入り方が、そこで育つ子どもたちの物語をよく支えています。
ことばの意味
- 大門
- :町の入口にある大きな門のこと。
出典:樋口一葉『たけくらべ』冒頭出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
われは女なりけるものを
読み・現代語:私は女であったのだなあ。
日記に書きつけた言葉として伝えられています。嘆きとも、確認ともとれる一行です。書きたいものがあっても、家を背負う立場と女であることが常に前に立った。その位置から書き続けた人の言葉です。
出典:樋口一葉の日記に記された言葉として伝わるもの出典の確度:諸説あり。本人の言葉とされますが、表現や場面に諸説あります
この人の歩み
1872年、東京で下級官吏の家に生まれました。読書と歌を好みましたが、女に学問は要らないという母の考えで、十一歳で学校をやめています。その後、歌塾の萩の舎に入り、和歌と古典を学びました。十七歳で父が亡くなり、戸主として母と妹を養う立場になります。
生計のために小説を書き始めました。雑貨店を営んだ吉原近くでの暮らしが、後の作品の背景になります。1895年から翌年にかけて、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』を相次いで発表しました。この期間は十四か月ほどで、「奇跡の十四か月」と呼ばれます。描かれたのは、遊郭の子どもたち、金に縛られる女性、選べない結婚といった、当時の社会の底のほうにある現実でした。同情ではなく、その人たちの気持ちの揺れをそのまま書いています。森鷗外や幸田露伴が高く評価しました。
1896年、結核により二十四歳で亡くなります。日記も多く残り、生活の苦しさと書くことへの意志が並んで記録されています。2004年から2024年まで五千円札の肖像になりました。
この言葉が映すもの
- 匠(手仕事を極める、細部への敬意)手仕事を極める、細部への敬意
古典の文体を身につけたうえで、話し言葉の生々しさを混ぜる書き方を作りました。
- 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる
生活のための仕事と看病を抱えながら、書くことをやめませんでした。
- 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て
感想を書かずに情景と会話だけを置き、読み手に判断を渡しています。
つながる人
関わりのある人

与謝野晶子
よさの あきこ/1878–1942/大正・昭和(文化・学術)
言ってはいけないことを歌にした人
情熱をそのまま詠んだ歌人です。戦地の弟を思う詩や女性の自立を説く評論も書き、十一人の子を育てながら仕事を続けました。

近い言葉の人

豊田佐吉
とよだ さきち/1867–1930/近現代の経営者
機械が自分で異常に気づく仕組みを作った人
大工の家に生まれ、独学で自動織機を発明した人です。糸が切れたら機械が自分で止まる仕組みは、いまも生産現場の考え方の土台になっています。
牧野富太郎
まきの とみたろう/1862–1957/大正・昭和(文化・学術)
小学校を中退した植物学者
小学校を二年で中退し、独学で植物学を修めた学者です。新種や新変種を千五百以上命名し、精密な植物画もすべて自分で描き続けました。
柳宗悦
やなぎ むねよし/1889–1961/大正・昭和(文化・学術)
無名の職人の器に美を見た人
日々使われる日用品にこそ美しさがあると説き、民藝運動を始めた思想家です。各地を歩いて名もない職人の手仕事を集め、記録に残しました。
出典
- ウィキペディア日本語版「樋口一葉」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「たけくらべ」(CC BY-SA 4.0)
肖像:Unknown authorUnknown author/This image is available from the website of the National Diet Library/Public domain/出典ページ
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。