額田王
ぬかた の おおきみ/Nukata no Okimi
生没年不詳/古代・飛鳥奈良
- 歌人
国の場面で歌を詠んだ女性
万葉集を代表する女性歌人です。船出や狩りといった公の場面で、その場を代表して歌を詠む役を担いながら、隠しきれない私的な感情の歌も残しました。
言葉
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
読み・現代語:熟田津(にきたつ)で船に乗ろうと月を待っていたら、潮の具合もちょうどよくなった。さあ今こそ漕ぎ出そう。
船団の出発にあたって詠まれた歌です。待っていた条件がそろった、という報告がそのまま号令になっています。命令の言葉ではなく、状況の描写で人を動かす。公の場で歌が果たしていた役割がよく分かります。
ことばの意味
- 熟田津
- :いまの愛媛県松山市あたりにあった港のこと。昔、船が出発する場所として使われました。
出典:『万葉集』巻一出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
読み・現代語:紫草の野を行き、御料地の野を行くあなた。野の番人が見ていませんか、そんなに袖を振って。
薬狩りの場で、かつて縁のあった相手が袖を振るのをたしなめた歌です。叱っているようで、うれしさも隠れています。公の行事の場に私的な感情が差し込む瞬間を、そのまま一首に収めました。
ことばの意味
- あかねさす
- :「紫」や「日」の前に置く飾りの言葉。歌の調子を整えるために使います。
- 標野
- :天皇や皇族のために立ち入りが決められていた野原のこと。
- 野守
- :その野原を見張っている番人のこと。
出典:『万葉集』巻一出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です
この人の歩み
生没年は分かっていません。七世紀後半、天智天皇・天武天皇の時代に活躍した歌人です。もとは大海人皇子(のちの天武天皇)との間に子をもうけ、のちに天智天皇のもとに仕えたと伝えられますが、その経緯には諸説あります。
この時代、歌は個人の趣味ではありませんでした。船出のとき、狩りのとき、都を移すとき、その場を代表して一首を詠む役目があり、額田王はその役を任される立場にいました。斉明天皇が九州へ向かう船団の出発では、月と潮を読み込んで「今こそ漕ぎ出そう」と詠んでいます。号令を歌の形で出したものです。一方で、蒲生野での遊猟の際に詠んだ歌は、かつての夫が袖を振るのを人目があるとたしなめる内容で、公の場に私的な感情がまぎれ込んだ緊張が残っています。この二種類の歌を同じ人が詠み分けている点が、後世の読者を惹きつけてきました。
作品は『万葉集』に十数首が伝わります。名前の残る女性の歌が、国家の場面の記録として残された最初期の例です。
この言葉が映すもの
- 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て
命令や感情を直接言わず、月や潮や野の情景に置き換えて伝えました。
- 誠(言と行を一致させる)言と行を一致させる
公の場の歌にも、隠しきれない私的な感情をそのまま残しています。
つながる人
関わりのある人
柿本人麻呂
かきのもと の ひとまろ/生没年不詳/古代・飛鳥奈良
歌の型をつくった人
万葉集を代表する歌人です。長歌の構成と対句の使い方を整え、後の和歌が使える型をつくった人として、のちに歌聖と呼ばれました。

大伴家持
おおとも の やかもち/718–785/古代・飛鳥奈良
万葉集をまとめたとされる歌人
万葉集に最も多くの歌を残し、その編纂に深く関わったとされる官人です。農民や防人など、名も身分も分からない人の歌を同じ本に収めました。
近い言葉の人
出典
- ウィキペディア日本語版「額田王」(CC BY-SA 4.0)
- ウィキペディア日本語版「万葉集」(CC BY-SA 4.0)
肖像:利用条件を満たす画像が確認できなかったため、掲載していません。代わりに、この人物の軸の色でつくった模様を表示しています。
本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。


