ことのは年代記
大伴家持の肖像

大伴家持(おおとものやかもち)

おおとも の やかもち/Otomo no Yakamochi

718–785/古代・飛鳥奈良

  • 歌人
  • 官人

万葉集(まんようしゅう)をまとめたとされる歌人(かじん)

万葉集(まんようしゅう)に最(もっと)も多(おお)くの歌(うた)を残(のこ)し、その編纂(へんさん)に深(ふか)く関(かか)わったとされる官人(かんじん)です。農民(のうみん)や防人(さきもり)など、名(な)も身分(みぶん)も分(わ)からない人(ひと)の歌(うた)を同(おな)じ本(ほん)に収(おさ)めました。

言葉

新(あたら)しき年(とし)の始(はじ)めの初春(しょしゅん)の今日降(きょうふ)る雪(そそ)のいや重(おも)け吉事(きちじ)

読み・現代語:新(あたら)しい年(とし)の初(はじ)めの、この春(はる)の日(ひ)に降(ふ)る雪(そそ)のように、よいことがますます積み重(つみかさ)なってほしい。

『万葉集(まんようしゅう)』全二十巻(ぜんにじゅうかん)の最後(さいご)に置(お)かれた歌(うた)です。降り積(ふりつ)もる雪(そそ)に、よいことが重(かさ)なるようにと願(ねが)いを重(かさ)ねました。四千五百首(よんせんごひゃくしゅ)を締(し)めくくる位置(いち)に、静(しず)かな祝(いわ)いの一首(いちしゅ)を置(お)いた選び方(えらびかた)に、編(あ)む人(ひと)の考(かんが)えが見(み)えます。

出典:『万葉集(まんようしゅう)』巻二十(まきにじゅう)(集(しゅう)の最後(さいご)の歌(うた))出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

うらうらに照(て)れる春日(しゅんじつ)に雲雀上(ひばりあ)がり心悲(しんかな)しも独(ひと)りし思(おも)へば

読み・現代語:うららかに照(て)る春(はる)の日(ひ)に、ひばりが空(そら)へ上(あ)がっていく。それなのに心(こころ)は悲(かな)しい、一人(いちにん)で物(もの)を思(おも)っていると。

よい天気(てんき)であることと、心(こころ)が晴(は)れないことを並(なら)べただけの歌(うた)です。理由(りゆう)は書(か)かれていません。景色(けしき)と気持(きも)ちが一致(いっち)しない状態(じょうたい)を、そのまま置(お)いた歌(うた)として、千二百年後(せんにひゃくねんご)にも通(つう)じる形(かたち)になっています。

ことばの意味

雲雀(ひばり)
:春に空高く飛びながら鳴く小さな鳥のこと。

出典:『万葉集(まんようしゅう)』巻十九(まきじゅうきゅう)出典の確度:確実。本人の著作や記録で確認できる言葉です

この人の歩み

718年(ねん)ごろ、名門(めいもん)の大伴氏(おおともし)に生(う)まれました。父(ちち)も歌人(かじん)です。大伴氏(おおともし)は代々(だいだい)、朝廷(ちょうてい)の警護(けいご)を担(にな)ってきた家(いえ)でしたが、家持(いえもち)の時代(じだい)には藤原氏(ふじわらし)が力(ちから)を持(も)ち、一族(いちぞく)は次第(しだい)に中心(ちゅうしん)から外(はず)れていきます。家持自身(いえもちじしん)も越中守(えっちゅうまもり)として地方(ちほう)へ赴任(ふにん)し、都(と)と地方(ちほう)を行き来(いきき)しました。

越中(えっちゅう)での五年間(ごねんかん)に多(おお)くの歌(うた)を詠(よ)んでいます。地方(ちほう)の自然(しぜん)と、都(と)から離(はな)れた孤独(こどく)が題材(だいざい)になりました。『万葉集(まんようしゅう)』には家持(いえもち)の歌(うた)が四百七十首以上収(よんひゃくななじゅうしゅもっうえおさ)められ、全体(ぜんたい)の一割(いちわり)を超(こ)えます。編纂(へんさん)の中心(ちゅうしん)にいたとされるのも、この分量(ぶんりょう)と、巻(まき)の構成(こうせい)のしかたからです。特徴的(とくちょうてき)なのは、収(おさ)められた歌(うた)の幅(はば)の広(ひろ)さでした。天皇(てんのう)や貴族(きぞく)の歌(うた)と並(なら)んで、東国(とうごく)の農民(のうみん)が詠(よ)んだ東歌(あずまうた)、九州(きゅうしゅう)へ送(おく)られた兵士(へいし)とその家族(かぞく)の防人歌(さきもりか)が、同(おな)じ本(ほん)に入(はい)っています。作者(さくしゃ)の名(な)も身分(みぶん)も分(わ)からない歌(うた)を、削(けず)らずに残(のこ)しました。晩年(ばんねん)は政変(せいへん)に巻き込(まきこ)まれ、死後(しご)に官位(かんい)を剥奪(はくだつ)されています。

785年(ねん)に亡(な)くなりました。集(しゅう)の最後(さいご)を飾(かざ)るのは、新年(しんねん)の雪(そそ)によいことが重(かさ)なるようにと詠(よ)んだ家持(いえもち)の一首(いちしゅ)です。

この言葉が映すもの

  • 美(簡素・余白・見立て)簡素・余白・見立て

    晴(は)れた空(そら)と晴(は)れない心(こころ)を並(なら)べるだけで、説明(せつめい)せずに気分(きぶん)を伝(つた)えました。

  • 名(な)も身分(みぶん)も分(わ)からない人(ひと)の歌(うた)を、貴族(きぞく)の歌(うた)と同(おな)じ本(ほん)に削(けず)らずに収(おさ)めています。

  • 粘(諦めず積み上げる)諦めず積み上げる

    都(と)から外(はず)れ、地方(ちほう)や政変(せいへん)のなかでも歌(うた)を作(つく)り、集(しゅう)をまとめ続(つづ)けました。

関わりのある人

  • 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)

    かきのもと の ひとまろ/生没年不詳/古代・飛鳥奈良

    歌(うた)の型(かた)をつくった人(ひと)

    万葉集(まんようしゅう)を代表(だいひょう)する歌人(かじん)です。長歌(ちょうか)の構成(こうせい)と対句(ついく)の使い方(つかいかた)を整(ととの)え、後(ご)の和歌(わか)が使(つか)える型(かた)をつくった人(ひと)として、のちに歌聖(かせい)と呼(よ)ばれました。

  • 額田王(ぬかたのおおきみ)

    ぬかた の おおきみ/生没年不詳/古代・飛鳥奈良

    国(くに)の場面(ばめん)で歌(うた)を詠(よ)んだ女性(じょせい)

    万葉集(まんようしゅう)を代表(だいひょう)する女性歌人(じょせいかじん)です。船出(ふなで)や狩(か)りといった公(おおやけ)の場面(ばめん)で、その場(ば)を代表(だいひょう)して歌(うた)を詠(よ)む役(やく)を担(にな)いながら、隠(かく)しきれない私的(してき)な感情(かんじょう)の歌(うた)も残(のこ)しました。

近い言葉の人

  • 宮沢賢治の肖像

    宮沢賢治(みやざわけんじ)

    みやざわ けんじ/1896–1933/大正・昭和(文化・学術)

    ほとんど読(よ)まれずに書(か)き続(つづ)けた人(ひと)

    岩手(いわて)で農業(のうぎょう)を教(おし)えながら詩(し)と童話(どうわ)を書(か)いた人(ひと)です。生前(せいぜん)に世(よ)へ出(で)た作品(さくひん)はごくわずかで、手帳(てちょう)や原稿(げんこう)が見(み)つかった死後(しご)に読者(どくしゃ)が広(ひろ)がりました。

  • 行基(ぎょうき)

    ぎょうき/668–749/古代・飛鳥奈良

    橋(はし)と池(いけ)をつくった、歩(ある)く僧(そう)

    都(と)の外(そと)へ出(で)て民衆(みんしゅう)に教(おし)えを説(と)きながら、橋(はし)や池(いけ)、道(みち)や宿(やど)を各地(かくち)につくった僧(そう)です。国(くに)に禁(きん)じられても活動(かつどう)を続(つづ)け、のちに大仏造立(だいぶつぞうりゅう)を任(まか)されました。

  • 鴨長明の肖像

    鴨長明(かものちょうめい)

    かもの ちょうめい/1155–1216/鎌倉・室町

    災害(さいがい)の記録(きろく)を、書き残(かきのこ)した人(ひと)

    『方丈記(ほうじょうき)』を書(か)いた随筆家(ずいひつか)です。都(と)を襲(おそ)った火災(かさい)・飢饉(ききん)・地震(じしん)を具体的(ぐたいてき)に記録(きろく)し、小(ちい)さな組み立(くみた)て式(しき)の庵(あん)で晩年(ばんねん)を過(す)ごしました。

同じ時代の人:聖徳太子、行基、柿本人麻呂、額田王

出典

肖像:Portrait of Ōtomo no Yakamochi. He was the 3rd shōgun of Japan from 784 to 785 CE./http://www.konpira.or.jp/museum/houmotsu/houmotsu_2009.html/Public domain/出典ページ

本文は上記を参照して編者が要約・再構成したものです。原文の転載ではありません。