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  4. 第5章 目標の設定と経営管理システム

経営戦略マネジメント 第5章 ストラテジ系・大分類:経営戦略

目標の設定と経営管理システム

戦略を目標と指標に落として達成の度合いを評価する手法と、それを支える経営管理システムの仕組み。

5-1企業の理念と目標

発売から2か月がたち、米粉ベーグルは毎朝9時前に売り切れるようになりました。ところが11月の初め、店長が風邪で3日休むと、ミナトとパートの人たちでこねた生地は、どれも天板の上で横に広がり、平たく焼き上がってしまいます。水の量もこねる時間も、レシピの紙に書いてあるとおりにしたはずでした。マスク姿の店長がビデオ通話の画面ごしに「生地が手に吸いつくくらいまで」と言っても、その「くらい」が分かりません。同じ週、店長が年の初めに書いた「3年後には朝の町でいちばんの店に」という貼り紙を見上げて、パートの人がつぶやきました。「いちばんって、何を数えたら分かるんでしょうね」。ミナトは相棒に打ち込みます。「目標も、こねるこつも、店長の頭の中にしかないみたい」

平たく焼き上がったベーグルが並ぶ天板の前で困っているアルバイトと、スマートフォンのビデオ通話の画面からマスク姿で指示を出す店長
図:店長が休んだ朝。ビデオ通話で教わっても、こねるこつは伝わらない

相棒は、貼り紙の言葉を分けて読むことを勧めました。店が何のためにあるのか、どこへ向かうのか、毎日の仕事で何を大切にするのか。三つは似て見えますが、答えている問いが違います。

企業の使命・将来像・価値観の三つをひと組にして示したものをMVVといいます。Mission・Vision・Value の頭文字です。ミッションは、組織が何のために存在し、社会の中で何を果たすのかを示します。第1章で店長が書いた「町の朝ごはんを焼く店」は、こむぎ堂のミッションにあたります。ビジョンは、ミッションを果たし続けた先に実現したい将来の姿で、「3年後には朝の町でいちばんの店に」はこちらです。

バリューは、働く人が判断し、行動するときに拠り所にする価値観です。「粉は地元のものを使う」「焼いてから2時間を過ぎたパンは棚に並べない」のように、迷ったときにどちらを選ぶかを決めます。店長がいない朝でも、バリューが共有されていれば、パートの人は自分で判断できます。

経営理念をもとに、企業が将来目指す姿と方向性を示したものを経営ビジョンとも呼びます。MVVのビジョンと同じく将来の姿を描くもので、経営者が社内外に向けて「この方向へ進む」と示す役目を持ちます。

ビジョンを掲げただけでは、明日の朝のパンは売れません。経営理念やビジョンを受けて、一つ一つの事業でどうやって競争に勝つかを定めたものがビジネス戦略(事業戦略)です。第1章の全社戦略が「どの事業を組み合わせるか」を決めるのに対して、ビジネス戦略は事業ごとに立てます。第2章で決めた「朝ごはん向けの米粉パンに絞る」は、こむぎ堂のパンの事業のビジネス戦略です。通販の事業には、また別のビジネス戦略が要ります。

戦略を立てるときは、事業がどんな要素の組み合わせでできているかを一望できると便利です。顧客・価値提案・収益の流れなど、事業を形づくる要素を九つの枠に分けて1枚のシートに書き出す手法をビジネスモデルキャンバスといいます。ミナトが米粉ベーグルの事業で埋めてみると、次のようになりました。

ビジネスモデルキャンバスの九つの枠(米粉ベーグルの事業の例)
枠書くことこむぎ堂の例
顧客セグメント誰のための事業か駅へ急ぐ朝の通勤客
価値提案顧客に何を届けるか片手で食べられて腹持ちのよい朝食
チャネルどうやって届けるか店頭、通販の定期便
顧客との関係顧客とどう付き合うかレジでの声かけ、SNSでの焼き上がりのお知らせ
収益の流れ何でお金を得るかベーグルの販売代金
主なリソース事業に欠かせない資源天然酵母、店舗、店長の手の感覚
主な活動欠かせない活動仕込み、成形、焼成
主なパートナー組む相手地元の製粉所
コスト構造何にお金がかかるか材料費、人件費、光熱費

「主なリソース」の欄に「店長の手の感覚」と書いたところで、ミナトの手は止まりました。事業に欠かせない資源の一つが、一人の頭と手の中にしかありません。3日の風邪で事業が傾いたのは、そのためでした。

5-2目標と指標

ミナトは「朝の町でいちばん」を数字にしようと、レジの記録を1か月分さかのぼりました。開店から10時までに来た客は1日平均120人、1人あたりの買い上げは600円です。いちばんに近づいているかどうかを、毎朝この二つの数字で確かめられないだろうか。相棒は「まず、ゴールを一つの数字にしてみよう」と返しました。

最終的に達成したい目標を、達成できたかどうかが分かる数値で表したものをKGI(Key Goal Indicator、重要目標達成指標)といいます。こむぎ堂は「3年後に、朝10時までの売上を1日平均10万円にする」をKGIに置きました。いまは 120人 × 600円 = 72,000円 なので、約28,000円足りません。

KGIに届くために、何がうまくいけばよいのか。目標の達成を左右する決め手になる要因をCSF(Critical Success Factors、重要成功要因)といいます。ミナトと店長が話し合って出したCSFは、「朝の通勤客に、また来てもらうこと」でした。そのCSFがうまく進んでいるかを途中で測る指標がKPI(Key Performance Indicator、重要業績評価指標)です。「2回以上来た客の割合」は、こむぎ堂のKPIの一つになります。

KGIの10万円は、掛け算に分けられます。売上は客数と1人あたりの買い上げの積なので、どちらをどれだけ伸ばせば届くかを計算できます。

朝の売上10万円に届くための客数(売上 = 客数 × 1人あたりの買い上げ)
1人あたりの買い上げ計算必要な客数
600円(いまのまま)100,000 ÷ 600 ≒ 166.7約167人
700円100,000 ÷ 700 ≒ 142.9約143人

客数はさらに「初めて来た客」と「また来た客」に分けられます。こうして、頂点のKGIから、それを形づくる下の指標へ枝分かれさせて並べた図をKPIツリーといいます。木の枝の先まで分けると、「試食を配った人数」や「レジでスタンプカードを渡した数」のように、店の人が明日の朝から動かせる数字にたどり着きます。

頂点の「朝の売上1日10万円」から、客数と1人あたりの買い上げへ枝分かれし、客数がさらに初めての客とまた来た客に分かれる木の図
図:こむぎ堂のKPIツリー。上の目標を、毎朝数えられる数字まで分ける

ツリーの上と下では、数字が動くまでの時間が違います。売上は1か月を締めて初めて確定する数字で、活動が終わったあとに得られた成果そのものを測る結果指標です。一方、「また来た客の割合」は、売上が伸びるより先に動きます。最終的な成果が出る前に測り、目標に届きそうかを早めに知るための指標を先行指標といいます。KGIは結果指標、KPIは先行指標として置かれることが多く、先行指標が下がり始めた時点で、月末を待たずに手を打てます。

ツリーの数字には、それぞれ目標値を決めます。ただ「朝の客を増やす」と書いても、何人増えたら達成なのかが分かりません。よい目標の条件を、Specific(具体的)・Measurable(測定できる)・Achievable(達成できる)・Relevant(上の目標と関連している)・Time-bound(期限がある)の頭文字で表したものがSMART(SMARTの原則)です。ミナトは目標を「来年3月末までに、朝10時までの1日平均客数を120人から150人にする」と書き直しました。対象の時間帯がはっきりし、レジの記録で測れ、期限があり、KGIの売上につながっています。

この目標を決めるまで、相棒は答えを出さず、質問を重ねていました。何を達成したいのか(Goal)、いまはどうなっているのか(Reality)、どんな手がありそうか(Options)、何をいつから始めるのか(Will)。目標・現状・選択肢・意志の順に対話を進めるコーチングの型をGROWモデルといいます。答えを渡すのではなく、相手が自分で目標と次の一歩を決められるように問いを並べる進め方です。

目標は、店長一人が持っていても動きません。トップの方針を部門や一人ひとりの目標へ順に分けて渡し、達成の状況を定期的に点検して、次の計画に生かしていく管理の仕方を方針管理といいます。店長の方針「朝の常連を増やす」は、ミナトの目標「SNSで焼き上がりの時刻を毎朝知らせる」と、パートの人の目標「2回目に来た客にスタンプカードを渡す」に分かれ、毎週の終わりに数字を見て直すことになりました。

5-3目標設定と評価の手法

ミナトが並べたKPIは、ほとんどが売上と客数でした。画面を見た店長が言います。「数字はいいけど、ベーグルが膨らまなかった件は、どこに書けばいいの」。お金の数字だけを追うと、来年の店の力が育っているかどうかが見えません。

財務の数字だけでなく、顧客・業務プロセス・学習と成長を合わせた四つの視点から目標と指標を立て、戦略がどこまで実行できているかを評価する手法をBSC(Balanced Scorecard、バランススコアカード)といいます。売上は過去の活動の結果ですが、人が育っているか、仕事の進め方がよくなっているかは、これから先の売上を左右します。四つの視点に分けると、目先の数字に表れない部分にも目標を置けます。

BSCの四つの視点(こむぎ堂の例)
視点問いこむぎ堂の指標の例
財務お金の面で成果は出ているか朝10時までの売上
顧客顧客に選ばれているか2回以上来た客の割合
業務プロセス仕事の進め方はよくなっているか形がそろわないベーグルの割合
学習と成長人と組織は育っているかこねる工程を任せられる人の数

店長が気にしていた平たいベーグルは、業務プロセスの視点に入ります。その根にある「こねる工程を店長しか担えない」は、学習と成長の視点の課題です。

ここから基本情報!四つの視点をつなぐ図

四つの視点の目標は、ばらばらではありません。こねる工程を任せられる人が増えれば(学習と成長)、店長がいない朝もベーグルの形がそろい(業務プロセス)、客がまた来るようになり(顧客)、朝の売上が伸びます(財務)。BSCで、四つの視点の戦略目標がどうつながって最終の成果に至るのかを、因果の矢印で描いた図を戦略マップといいます。図にしておくと、下の段の目標がなぜ要るのかを、上の段の目標から説明できます。

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顧客の視点の指標を決めるには、客が店に何を求めているかを知っておく必要があります。こむぎ堂は、第3章のアンケートで描いた「駅へ急ぐ朝の通勤客」の姿をもとに、この視点の目標を決めました。

ここから基本情報!顧客と競合を調べる

通勤客が本当に求めているのは「ベーグル」そのものでしょうか。根っこにあるのは「朝、手早くおなかを満たしたい」という欲求で、「歩きながら食べられるベーグルがほしい」は、それを満たす手段の一つへの欲求です。顧客の根本的な欲求(ニーズ)と、それを満たす具体的な商品や手段への欲求(ウォンツ)を分けてとらえ、商品の企画に生かす手法をニーズ・ウォンツ分析といいます。ニーズの側から見ると、同じ欲求はコンビニのおにぎりでも満たせることが分かります。

そうなると、比べる相手はベイクマートだけでは足りません。競合する企業の商品・価格・売り場・強みと弱み・戦略を調べ、自社の立ち位置や戦略を決める材料にする分析を競合分析といいます。ミナトが駅までの道にある店を調べると、ベイクマートは値段の安さ、コンビニは早朝から開いていることが強みでした。こむぎ堂が顧客の視点の目標に「焼きたてを7時に並べる」を加えたのは、この結果からです。

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四つの視点の目標がそろうと、BSCの表は毎週の打ち合わせで見る1枚になりました。いちばん数字が悪いのは、業務プロセスの視点の「形がそろわないベーグルの割合」です。

5-4品質とコストの改善

店長が戻った週、ミナトは毎朝、形がそろわずに店頭に出せなかったベーグルを数えました。1日300個のうち、平均12個です。数えているうちに、ベーグルを入れる紙袋が1枚12円もかかっていることにも気づきました。品質とコストの両方に、手を入れる所がありそうです。

品質を守る仕事は、作る人だけのものではありません。製造部門だけでなく、設計・販売・購買などの全部門が、経営者から現場の人まで加わって品質を管理する活動をTQC(Total Quality Control、全社的品質管理)と呼び、その考え方を経営の戦略にまで広げて、顧客の満足を目指して全員で品質を高め続ける考え方をTQM(Total Quality Management、総合的品質管理)と呼びます。二つは並べてTQC・TQMと呼ばれることがあります。こむぎ堂でいえば、こねる人だけでなく、袋に詰める人もレジの人も品質の担い手になる、という考え方です。

形のそろわないベーグルを減らすには、まず、ばらつきを数で測ります。統計的な手法を使って業務の工程のばらつきを測り、欠陥をごくわずかになるまで減らしていく品質改善の手法をシックスシグマといいます。名前は標準偏差を表す σ(シグマ)から来ていて、100万回に3.4回ほどの欠陥にまで抑える水準を目標にします。進め方は、定義(Define)・測定(Measure)・分析(Analyze)・改善(Improve)・管理(Control)の頭文字で DMAIC と呼ばれます。こむぎ堂の 12 ÷ 300 = 4% は、100万個あたりに直すと4万個で、目標の水準からは遠い数字です。

ここから基本情報!からみ合った原因を図にする

平たくなる原因を挙げると、からみ合っていました。発酵が足りないのは、生地の温度が低いから。生地の温度が低いのは、冬の朝の水温と室温が日によって違うから。こねが足りないのは、どこまでこねればよいかの感覚が伝わっていないから。複雑に関連し合う問題について、原因と結果の関係を矢印でつないで図にし、要因の全体を整理する手法を連関図法といいます。新QC七つ道具の一つです。図にすると、矢印が多く集まる要因、ここでは「温度の管理」と「こつの伝え方」の二つが、手を打つべき所として浮かび上がりました。

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品質を高める取り組みを、その場かぎりで終わらせない仕組みにしたものを、品質マネジメントシステムと呼びます。その国際規格群がISO 9000シリーズ(ISO 9000ファミリー)です。この中で ISO 9000 そのものは品質マネジメントシステムの基本と用語を定め、組織が満たすべき要求事項は ISO 9001 が定めています。企業が第三者の審査を受けて取る「ISO 9001 の認証」は、こちらの要求事項に照らしたものです。

ここから基本情報!日本の規格

ISO 9000 に対応する日本産業規格がJIS Q 9000で、名前は「品質マネジメントシステム-基本及び用語」です。いまの版は JIS Q 9000:2015 で、ISO 9000:2015(第4版)を、技術的な内容を変えずに日本語にしたものです。ISO 9000 は2026年5月に第5版(ISO 9000:2026)が発行され、JIS Q 9000 も改正の作業が進んでいます。

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紙袋のほうは、コストの話です。製品やサービスが果たす機能と、それにかかるコストの関係を分析し、機能を保つか高めながらコストを下げて、価値を高める手法をバリューエンジニアリング(VE)といいます。価値は「機能 ÷ コスト」で考えます。紙袋に求められる機能は「持ち運べること」と「油がしみないこと」の二つでした。同じ二つを満たす8円の袋に替えれば、機能は同じまま、コストは12円から8円に下がり、価値は 1.5倍 になります。1日300枚なら、毎日1,200円の差です。

5-5投資の評価

連関図で見つかった「温度の管理」には、機械で手を打てそうでした。出入りの業者は、温度と湿度を一定に保って生地を発酵させる発酵機を200万円で勧めてきます。店長は見積書を手に、腕を組みました。「高いけど、元は取れるのかな」

投資の良し悪しを判断するとき、まず使うのが、投資した金額に対してどれだけの利益が得られたかを割合で表すROI(Return On Investment、投資利益率)です。投下した資本に対する利益の割合という意味で投下資本利益率とも呼ばれ、利益 ÷ 投資額 × 100(%)で求めます。発酵機で形の悪いベーグルが減り、早朝の仕込みの時間も短くなって、年に50万円の利益が増える見込みだとすると、ROI は 50万円 ÷ 200万円 × 100 = 25% です。

ここから基本情報!回収までの年数と内部収益率

見積書には、機械の代金のほかに、年に10万円の電気代と点検の費用が書いてありました。導入の費用(イニシャルコスト)とは別に、運用や保守のために使っている間ずっとかかり続ける費用をランニングコストといいます。ランニングコストを引くと、毎年手元に残るのは 50万円 − 10万円 = 40万円 です。

では、200万円は何年で取り戻せるのか。投資額を、その投資で毎年得られる利益(キャッシュフロー)で割って求める、投資額を回収するまでの期間を投資回収期間(回収期間)といいます。200万円 ÷ 40万円 = 5年 です。ランニングコストを見落として50万円で割ると4年になり、1年甘く見積もることになります。回収期間は短いほど安全な投資ですが、回収したあとにどれだけ稼ぐかは、この数字には表れません。

お金を受け取る時期の違いまで考えるのが、IRR(Internal Rate of Return、内部収益率)です。いまの100万円と1年後の100万円は、同じ価値ではありません。将来のお金を、ある割合(割引率)でいまの価値に直して合計し、投資額を差し引いたものを正味現在価値(NPV)といいます。IRRは、この正味現在価値がちょうど0になる割引率です。たとえば、いま100万円を投じて1年後に110万円が戻る投資なら、110万円 ÷(1 + r)= 100万円 となる r は 0.1、つまり IRR は10%です。IRRが、資金を借りる金利などの資本コストを上回っていれば、投資する価値があると判断します。

基本情報の範囲ここまで

店長がもう一つ迷ったのは、2台目のことでした。業者は「2台まとめて買えば安くします」と言います。しかし、ベーグルが来年も売れ続けるかは分かりません。そこで、いまは1台だけ買い、売れ行きを見てから2台目を足すか、やめるかを決めることにしました。将来の状況に応じて投資を延期・拡大・中止できる「選ぶ権利」に価値があると考え、金融のオプションの考え方を事業の投資の評価に当てはめる手法をリアルオプションといいます。先が読めない投資ほど、決めずに待てる余地そのものが値打ちを持ちます。

5-6ナレッジマネジメント

発酵機が入って、室温に振り回されることはなくなりました。それでも、生地をこねる手の感覚だけは機械に任せられません。店長は「水を足すころ合いは、生地の音で分かるんだよ」と言いますが、その音を言葉にしたことは一度もありませんでした。

店長の「音で分かる」のように、経験の中にあって言葉にしにくい知識を暗黙知と呼び、レシピの紙のように文章や図にして人に渡せる知識を形式知と呼びます。個人が持つ知識や経験を組織全体で共有し、生かして、新しい知識を生み出すことにつなげる経営の手法をKM(Knowledge Management、ナレッジマネジメント)といいます。こむぎ堂にとっては、店長の手の中のこつを、店の財産に変える取り組みです。

知識を共有するには、置き場所と探し方が要ります。個人の知識や経験、ノウハウを組織全体で共有し、有効に使えるようにするための情報システムをナレッジマネジメントシステムといいます。手順書や動画、よくある質問と答えをまとめて保存し、「冬」「米粉」のような言葉で検索できるようにしたものが典型です。ただし、システムに入れる中身は、誰かが暗黙知を形式知に変えなければ生まれません。

その変え方を説明するのがSECIモデルです。野中郁次郎らが示したモデルで、暗黙知と形式知が四つの段階を回りながら変換され、個人から組織へと広がっていく過程を表します。名前は四つの段階の英語の頭文字です。ミナトと店長が実際に進めた順に見ていきます。

SECIモデルの四つの段階を円に並べた図。店長のこねる手を横で見る共同化、動画を見て手順書に書く表出化、ほかのレシピと合わせて冊子にする連結化、冊子どおりにこねて身につける内面化の順に回る
図:SECIモデル。店長のこつが、手順書と冊子を通ってミナトの手に移る

最初の段階は、ミナトが店長の横に立ち、一緒にこねながら手の動きと音を覚えることでした。共同の作業や経験を通して、暗黙知を暗黙知のまま他の人に伝える段階を共同化(Socialization)といいます。言葉はほとんど使いません。

次に、ミナトは店長がこねる様子を動画に撮り、見返しながら「生地の表面がつるりとして、音が低くなったら水を足す」と手順書に書きました。共有された暗黙知を、言葉や図などの形式知に変える段階が表出化(Externalization)です。

手順書が1枚できると、ほかのパンの手順書や、季節ごとの水温の表と合わせて、こむぎ堂の仕込みの冊子にまとめました。形式知どうしを組み合わせて、新しい形式知をつくる段階が連結化(Combination)です。冊子にしたことで、「冬は水を2度温かくする」という、どの手順書にも単独では書かれていなかった決まりが見えてきました。

最後に、ミナトとパートの人たちは冊子どおりに何度もこね、やがて冊子を開かなくても手が動くようになりました。形式知を実践の中で自分のものにし、個人の暗黙知として身につける段階が内面化(Internalization)です。身についた感覚は、ミナトが次に入るアルバイトの横でこねるとき、また共同化から伝わっていきます。

5-7経営管理システム

冊子づくりの途中で、ミナトは別の困りごとに気づきました。米粉の残りはノートの在庫表に、予約は予約システムに、売上はレジに、パートの人のシフトは店長の手帳にあります。明日ベーグルを何個焼けばよいかを決めるだけで、4か所を見て回らなければなりません。

ミナトはまず、予約を受けてから袋に詰めるまでの仕事の流れを、箱と矢印で紙に書き出しました。業務の流れを図や文章で表して整理し、どこを改善すべきかを明らかにする作業をプロセスモデリングといいます。システムを入れる前に業務を図にしておくと、どの仕事をシステムに任せ、どこを人が担うのかを決めやすくなります。

図の箱に、1時間あたりにこなせる数を書き込むと、問題がもう一つ見えました。こねる工程は1時間に80個分、焼く工程は60個、ところが手で形を作る成形は40個しか進みません。全体で1時間に仕上がるのは、いちばん遅い成形の40個です。業務の工程全体の生産性は、もっとも処理能力の低い工程(制約)で決まるという考え方をTOC(Theory Of Constraints、制約理論)といいます。オーブンを速くしても、40個という数は変わりません。手を入れるべきは成形で、ミナトが成形の補助に回る時間を増やすと、全体の数がようやく伸びました。

4か所に散らばった記録は、一つにまとめる方法があります。受注・購買・生産・在庫・会計・人事といった企業の基幹業務の情報を一つのデータベースでつなぎ、経営の資源を全体として計画し管理する考え方をERP(Enterprise Resource Planning、企業資源計画)といい、それを実現するために作られたソフトウェア製品をERPパッケージといいます。予約が入れば、必要な米粉の量と在庫が同じ画面で分かり、売上は会計にそのまま流れます。

店の中だけをつないでも、米粉が届かなければパンは焼けません。原材料の調達から生産・物流・販売までの一連の流れを、取引先の企業と情報を共有しながら全体として最適にする管理の手法をSCM(Supply Chain Management)といいます。製粉所がこむぎ堂の在庫と予約の数を見られれば、製粉所は先回りして粉を挽き、こむぎ堂は粉を切らすことも、余らせて古くすることも減らせます。

SCMが物と情報の流れに目を向けるのに対して、調達・製造・物流・販売などの活動の一つ一つが生み出す価値に目を向け、その連なり(価値連鎖)全体を管理して競争での強みを高める取り組みをバリューチェーンマネジメントといいます。こむぎ堂なら、地元の米粉を選ぶ調達、天然酵母で焼く製造、7時に並べる販売のどこで客にとっての価値が生まれているかを見て、そこに人と時間を回すことになります。

経営管理システムには、顧客の側を受け持つものもあります。顧客の情報や購入の履歴を記録して、長く続く関係をつくるCRM(Customer Relationship Management、顧客関係管理)や、営業の活動を記録して共有し、効率を上げるSFA(Sales Force Automation)がその例です。スタンプカードを渡した客がまた来たかを数えるのは、CRMの仕事になります。

人の情報を受け持つシステムもあります。従業員の経歴・技能・評価などの情報を一か所で管理し、採用・育成・配置の判断に生かす情報システムをタレントマネジメントシステムといいます。こむぎ堂の規模でも、「誰がこねる工程を任せられるか」「誰が成形を覚えている途中か」が一覧になっていれば、店長が休む日のシフトを組むときに迷いません。

ここから基本情報!入口を一つにまとめる

システムが増えると、今度は画面が増えます。社内のさまざまな情報システムやデータへの入口を一つにまとめ、利用者が一つの画面からたどれるようにした仕組みをEIP(Enterprise Information Portal、企業内情報ポータル)といいます。こむぎ堂の作業場のタブレットを開くと、今日の予約数、米粉の在庫、シフト、仕込みの冊子の検索が1枚の画面に並ぶ、という形です。

基本情報の範囲ここまで

新しいシステムに合わせて、レジも入れ替えることになりました。新しいレジでは、どのキーを押すとどの商品やどの操作になるかを店で決められます。ミナトは、朝いちばん多く押す「米粉ベーグル」のキーを、いちばん押しやすい左上に割り当てました。

5-8生産と在庫の管理

記録を一か所にまとめると、通販のベーグルの定期便に、毎週300個の注文が入っていることがはっきりしました。定期便は、注文を受けてから焼いて送ります。ところが、米粉は足りるのか、オーブンは回るのかの計算は、毎週ミナトの電卓頼みでした。

店頭のパンは、天気や曜日から売れる数を予想して先に焼いておく見込生産です。これに対して、顧客から注文を受けてから生産を始める方式を受注生産方式(受注生産)といいます。注文の数だけ作るので売れ残りは出ませんが、注文を受けてから届けるまでに時間がかかります。

注文を受けてから、製品が顧客に届くまでにかかる期間をリードタイムといいます。定期便は、月曜の締め切りから木曜に届くまで3日です。発注してから納品されるまでの期間という意味でも使い、調達・生産・配送のどこかが短くなれば、リードタイム全体も縮みます。顧客を待たせる時間が短いほど、選ばれやすくなります。

300個を注文どおりに届けるには、300個より多く生地を作らなければなりません。焼いた中には、形がそろわず出せないものが出るからです。投入した原材料の量に対して、不良品を除いた良品として得られた製品の割合を歩留り率(歩留まり率)といいます。生地を100個分作って良品が95個なら、歩留り率は95%です。この歩留り率で良品を300個そろえるには、300 ÷ 0.95 ≒ 315.8 なので、生地を316個分以上作る必要があります。こむぎ堂は余裕を見て320個分を仕込むことにしました。

ここから基本情報!資材と能力の計画

320個分の生地に、米粉はどれだけ要るか。生産の計画から必要な部品や材料の量と時期を計算する手法を資材所要量計画(MRP)といいます。MRPでは、計画に必要な量の合計(総所要量)から、いまある在庫と、すでに手配して入荷を待っている量を差し引いて、新しく手配すべき量を求めます。この新しく手配すべき量を正味所要量といいます。

定期便320個分の米粉の正味所要量(1個あたり80g)
項目計算量
総所要量80g × 320個25.6kg
在庫倉庫にある量8kg
入荷予定すでに注文して届く前の量10kg
正味所要量25.6 − 8 − 107.6kg

米粉が足りても、焼く力が足りなければ計画は回りません。MRPで立てた生産の計画が、設備や人の能力で実際にこなせるかを確かめる能力の計画をCRP(Capacity Requirements Planning、能力所要量計画)といいます。水曜の朝に、定期便の320個と店頭の200個、合わせて520個を焼く計画を立てたとします。オーブンが1時間に60個、早朝から8時間で480個しか焼けないなら、40個分あふれます。こむぎ堂は定期便の一部を前日の火曜の午後に焼く計画に直しました。

なお、SCMの文脈では、CRPが Continuous Replenishment Program(連続補充方式)の略として使われることもあります。資材の計画の話なのか、補充の話なのかで見分けます。

基本情報の範囲ここまで

米粉そのものの発注は、毎週月曜に製粉所へ出すことに決めました。決まった間隔で発注し、そのたびに次の分の需要を予測して発注量を決める方式を定期発注方式といい、その発注の間隔を発注サイクルといいます。こむぎ堂の発注サイクルは1週間です。発注サイクルを短くすると、在庫は少なくて済みますが、発注の手間は増えます。

12月の半ば、店長は年末のあいさつ回りで朝から店を空けました。作業場の壁には、朝の売上10万円を頂点にしたKPIツリーと、店長のこねる動画を見ながらミナトが書いた手順書が貼ってあります。ミナトとパートの人たちは手順書の言葉を確かめながら生地をこね、成形の補助に一人を回し、7時の棚に並べました。天板の上のベーグルは、どれも同じ丸い形に膨らんでいます。その日の朝の客数は138人でした。150人まではまだ遠く、ツリーの枝のどこを伸ばすかを、次の打ち合わせで決めることになっています。

この章のふりかえり

この章で太字にした用語は、暗記カードで覚えられます。

ITパスポートの範囲(38語)を暗記カードで覚える 基本情報まで(49語)を暗記カードで覚える

カードの「カテゴリ」は、この章の節の名前です。同じボタンでもう一度取り込んでも、復習の進み具合は消えません。