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技術戦略マネジメント 第1章 ストラテジ系・大分類:経営戦略

技術開発戦略と技術開発計画

技術を事業の成果に結びつけるための戦略の立て方と、ロードマップに沿った開発計画の進め方。

1-1技術経営の考え方

こむぎ堂の天然酵母は、店長が20年継ぎ足してきた店の宝です。秋に入ってから、通販のお客さんから「家で焼きたてを食べたい」という声が続けて届くようになりました。店長は、この酵母で冷凍しても膨らむパン生地を作ろうと言い出します。ところが、厨房の冷凍庫で一晩凍らせた生地は、どれも焼いても半分ほどしか膨らみませんでした。自分たちだけで試作を続けるか、近くの大学の研究室を頼るか。そもそも、作れたとして本当に売れるのか。ミナトはタブレットを開いて、相棒に打ち込みました。「パンの研究と、店の商売って、どこでつながるんだろう」

厨房で、膨らまなかった冷凍生地を前に店長とミナトが首をかしげ、タブレットの相棒が研究から試作、販売までの道のりを示している
図:膨らまなかった冷凍生地と、研究から販売までの道のり

相棒の返事は、話を二つに分けるものでした。「酵母の研究がうまくいくことと、冷凍生地で店がもうかることは、別々に考えよう」。生地が膨らむようになっても、それだけでは1円の売上にもなりません。どの技術にお金と時間をかけ、いつ商品にし、誰にどう売るかを決めて、はじめて技術は店の利益に変わります。

このように、技術を事業の成果に結びつけるように経営する考え方をMOT(Management of Technology:技術経営)といいます。技術者だけの話ではなく、経営の話です。技術をよく知る人と、お金や売り方を考える人が同じ机で判断することが、MOTの出発点になります。

冷凍生地の試作は、小さいながらもR&D(Research and Development:研究開発)にあたります。研究は「なぜ冷凍すると膨らまなくなるのか」を調べる活動で、開発はその答えを使って、毎回同じように作れる生地の作り方にまとめる活動です。会社では、R&Dと技術の戦略をまとめて受け持つ役職を置くことがあり、これをCTO(Chief Technology Officer:最高技術責任者)と呼びます。こむぎ堂でその役を担うのは、酵母をいちばんよく知る店長です。

相棒は次に、店の持っている技術を書き出してみるよう勧めました。天然酵母の扱い、石窯の温度の見きわめ、通販サイトの運用、季節の焼き菓子の配合。並べてみると、伸ばしたい技術とそうでない技術が見えてきます。自社の技術を、技術としての強さや、その技術が生きる市場の伸びといった軸で分けて並べ、どこに人とお金を配るかを考える手法を技術ポートフォリオといいます。こむぎ堂の場合、強さでも市場の伸びでも上に来るのは、酵母の扱いでした。

ここから基本情報!店の中核になる技術

酵母の扱いのように、他社がまねしにくく、しかも複数の商品や事業に広げられる中核の技術をコア技術といいます。20年継ぎ足した酵母と、その機嫌を読む店長の経験は、ほかの店が明日から買えるものではありません。そして同じ酵母が、食パンにも、冷凍生地にも、将来の焼き菓子にも使えます。コア技術を見きわめたら、そこには外の力を借りてでも投資を続け、それ以外の技術は外から調達してもよい、という判断ができるようになります。

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1-2イノベーション

日曜の夕方、ミナトはスーパーの冷凍食品の棚を見て回りました。大手メーカーの冷凍クロワッサンが、6個入りで398円。こむぎ堂が同じ値段で作れば、作るほど赤字になります。「同じやり方で勝負しても、勝てる気がしない」

技術や仕組みを新しく組み合わせて、これまでにない価値を生み出すことをイノベーション(技術革新)と呼びます。イノベーションには、何を新しくするかで二つの向きがあります。

一つは、これまでにない製品やサービスを生み出すプロダクトイノベーションです。冷凍しても膨らむ天然酵母の生地ができれば、それはこむぎ堂にとってのプロダクトイノベーションになります。もう一つは、作り方や業務の進め方を変えて、コストを下げたり品質をそろえたりするプロセスイノベーションです。大手メーカーが398円で売れるのは、生地をこねてから袋に詰めるまでの工程を機械で一気に流す、プロセスの技術を積み上げてきたからです。

ここから基本情報!技術の伸び方の形

一つの技術の性能は、時間や投じた努力に比例して伸びるわけではありません。始めはなかなか伸びず、ある時期から急に伸び、やがて頭打ちになります。この形をグラフに描くとS字になるので、技術のSカーブ(Sカーブ)と呼びます。大手の冷凍の技術は、すでにSの上の平らな所に近く、さらにお金をかけても値段はあまり下がりません。頭打ちが見えてきた技術にこだわり続けるより、別の技術の新しいSカーブに乗り換える時期を見きわめることが、技術の戦略になります。

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では、大きな会社はいつも小さな店に勝つのでしょうか。米国の経営学者クレイトン・クリステンセンは、その逆が起きる仕組みを示しました。優れた大企業ほど、いまのお客さんの要望に応えて今の製品の改良を続けます。そのあいだに、最初は性能が低く、小さな市場でしか売れない新しい技術を新興の企業が育て、やがて主流の市場まで奪ってしまう。正しい経営判断を重ねた結果として新しい技術に出遅れるこの現象を、イノベーションのジレンマといいます。大手にとって小さすぎる市場は、小さな店にとっては入り口になりえます。

ただ、こむぎ堂の人数では、酵母が冷凍に弱い理由を突き止めるだけでも何年かかるか分かりません。店長は「大学に頼るのは、なんだか負けた気がする」とこぼしました。自社の中にある技術や人だけにこだわらず、大学やほかの会社の技術・アイデアを取り入れて、新しい価値を生み出す考え方をオープンイノベーションといいます。反対に、自社の技術を外に出してほかの会社に使ってもらうことも、この考え方に含まれます。外の知恵を借りることは負けではなく、技術を早く事業に結びつけるための手段の一つです。

1-3価値創出の三要素と関門

2週間後、大学の研究室の先生がこむぎ堂を訪ねてきました。酵母を顕微鏡で見たあと、先生は言います。「この中から冷凍に強い株を選び出せば、膨らむ生地になるかもしれません」。店長は手をたたいて喜びましたが、相棒の返事は慎重でした。「研究室で膨らむことと、お客さんの台所で膨らんで売れ続けることのあいだには、まだ段差がいくつもあるよ」

ここから基本情報!価値が利益になるまでの三つの段階

技術を経済的な価値に結びつけるには、三つの段階をすべて満たす必要があるとされます。これを価値創出の三要素と呼びます。

一つめは、技術や製品そのものの価値を生み出すValue Creation(技術・製品価値創造)です。冷凍しても膨らむ生地を作ることがこれにあたります。二つめは、その価値をお客さんに実際に届けるValue Delivery(価値実現)です。冷凍便で家庭まで運び、家庭のオーブンでの焼き方を伝えて、はじめて「家で焼きたて」が実現します。三つめは、届けた価値を自社の利益として回収するValue Capture(価値利益化)です。生地代と送料を足しても買ってもらえる値段と売り方を決めなければ、売れるほど赤字になります。

三つのうち一つでも欠ければ、技術は利益になりません。膨らむ生地ができても運べなければ価値は届かず、届いても値段が合わなければ店は続きません。

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研究の成果が売上として実を結ぶまでの道のりは、よく「研究→開発→事業化→産業化」の四つの段階で表されます。そして、段階と段階のあいだには、それぞれ越えにくい関門があるといわれます。

最初の関門は、研究と開発のあいだにある魔の川(Devil River)です。研究で分かったことが、具体的な製品の開発に進めずに終わってしまう関門です。研究室で選んだ株が膨らんでも、こむぎ堂の厨房で毎朝同じように作れる生地の配合にまとまらなければ、話はここで止まります。

次の関門は、開発と事業化のあいだにある死の谷(Valley of Death)です。製品はできたのに、量産の設備や売る仕組みを整えるための資金や人が足りず、事業にできない関門です。冷凍庫を増やし、包装の機械を入れ、冷凍便の契約を結ぶには、売上が立つ前にまとまったお金が出ていきます。

最後の関門は、事業化と産業化のあいだにあるダーウィンの海(Darwinian Sea)です。売り出した商品が、ほかの会社の商品とのきびしい競争にさらされ、市場で生き残れるかを試される関門です。大手の冷凍パンも、ほかのパン屋の通販も、同じお客さんを取り合っています。

研究、開発、事業化、産業化の4段階が一本の道でつながり、そのあいだに魔の川、死の谷、ダーウィンの海が並んでいる図
図:研究から産業化までの道のりと、三つの関門(魔の川・死の谷・ダーウィンの海)

海に出たあとにも、越えにくい溝があります。新しい商品を最初に買うのは、新しいもの好きのごく一部の人です。米国の社会学者ロジャーズは、新しい商品を受け入れる早さの順に、人々をイノベーター、アーリーアダプタ、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガードの五つに分けました。このうち、早くから買う少数のアーリーアダプタと、多数派の入り口にあたるアーリーマジョリティのあいだには、普及が止まりやすい大きな溝があります。これをキャズムと呼びます。こむぎ堂でいえば、新作を必ず試す常連さんは買ってくれても、ふつうのお客さんは「冷凍のパンって、本当においしいの」で手を止めます。この溝を越えるには、使ってみた人の声や、失敗しない焼き方の案内のような安心材料が要ります。

1-4新しい事業の育て方

先生の研究室で株の選び出しが始まったころ、店長は業務用の冷凍庫を3台注文しようとしていました。1台40万円です。注文書をのぞき込んだミナトは思わず声を上げました。「まだ一個も売れてないのに、120万円?」

新しい事業は、作り込んでから売り出すほど、外れたときの損が大きくなります。そこで、必要最小限の製品をまず作ってお客さんの反応を確かめ、そこで学んだことをもとに作り直す、という一回りを短く繰り返して事業を育てる手法があります。これをリーンスタートアップといいます。リーン(lean)は「無駄のない」という意味です。

ミナトが提案したのは、冷凍庫を買う前に、冷蔵で2日もつ生地を今ある設備で30個だけ作り、通販の常連さんに限って売ってみることでした。冷凍ではないので、目指す商品そのものではありません。それでも、「家で生地から焼きたい人は本当にいるのか」は、この30個で確かめられます。

相棒は、事業の全体像を1枚の紙に書き出す枠組みも教えてくれました。ビジネスモデルキャンバスは、誰をお客さんにするか(顧客セグメント)、何を約束するか(価値提案)、どうやって届けるか(チャネル)など、事業の仕組みを9つの欄に分けて書き込む枠組みです。欄を埋めていくと、冷凍便の送料を誰が払うのか(コスト構造と収益の流れ)が、まだ空欄のままだと分かりました。

大きく育つ見込みのある事業には、外からお金が集まることもあります。商店街の会合で、店長は冷凍パンを扱う若い会社がベンチャーキャピタルから出資を受けたという話を聞いてきました。VC(Venture Capital:ベンチャーキャピタル)は、株式を上場していないベンチャー企業に出資し、その企業が上場したり売却されたりしたときに、株の値上がりで利益を得ることを目指す投資会社です。お金を出すだけでなく、経営の助言をすることも多くあります。

投資をするのは投資会社だけではありません。事業会社が自社の資金で、ベンチャー企業に出資する組織や活動をCVC(Corporate Venture Capital:コーポレートベンチャーキャピタル)といいます。たとえば大手の製粉会社がCVCを作り、冷凍パンの会社に出資する、という形です。CVCは、出資先の成長で得る利益だけでなく、新しい技術を早く知ることや、自社の事業との組み合わせも目的にします。

ここから基本情報!利用者が参加するWeb

いまのネット通販は、一つの店のサイトだけで完結していません。その流れの始まりの一つとして語られるのがWeb2.0です。作り手が情報を出し、読み手はそれを見るだけ、という以前のWebの使われ方から、利用者がブログやSNSで発信し合い、サービスどうしも機能を公開してつながり合う形へ移ったWebの流れを指す言葉で、2000年代の半ばに広まりました。

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こむぎ堂の通販サイトも、自前で作ったのは画面の一部だけです。支払いは決済サービスに、配送の状況は配送会社に、店までの道案内は地図サービスに任せています。どれも、ほかの会社が外から呼び出せるように公開しているAPI(機能を呼び出すための窓口)を使ってつないでいます。このように、企業がAPIを公開し、ほかの会社のサービスと組み合わさることで新しい価値や商売が生まれる経済の広がりをAPIエコノミーといいます。こむぎ堂が焼き上がりの時刻と残りの数をAPIで公開すれば、町の情報サイトが「いま焼きたて」を表示してくれるかもしれません。

1-5アイデアを形にして確かめる

冷蔵生地の30個は、2日で売り切れました。届いた感想は、うれしいものばかりではありません。「おいしい。でも平日の朝は焼く時間がない」「発酵の具合が分からなくて失敗した」。感想の束をめくりながら、店長がつぶやきました。「結局、誰に向けて作ればいいんだろうね」

作り手の思い込みから出発するのではなく、使う人の立場に立って本当の困りごとを見つけ、アイデアを出し、試作して確かめることを繰り返す考え方をデザイン思考といいます。「冷凍でも膨らむ生地」は作り手の目標です。お客さんの困りごとは「朝に時間がない」「失敗したくない」のほうにありました。

困りごとを見つけるには、お客さんの姿を具体的に思い浮かべる必要があります。そこで、典型的な利用者を、名前・年齢・暮らしぶり・困りごとまで備えた一人の人物として描き、その人に向けて商品を企画する手法をペルソナ法といいます。ミナトたちは「駅前のマンションに住む共働きの会社員。平日の朝は10分で家を出る。週末は家族と焼きたてを食べたい」という人物を一人決めました。平日に焼く時間がないなら、週末の朝に焼ける量と手順で売ればよい、と企画が絞られます。

ここから基本情報!短期間でアイデアを出し合う

アイデアを一人で考えるのには限りがあります。いろいろな立場の人が集まり、短い期間で集中してアイデアを出し合い、まとめるイベントをアイディアソン(ideathon)といいます。アイデア(idea)とマラソン(marathon)を合わせた言葉で、ものを作ることより、発想を広げてまとめることが目的です。こむぎ堂は常連さん10人を招き、土曜の午後に「週末の朝をどう楽しくするか」を出し合う会を開きました。

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出てきたアイデアの一つが、「焼き上がりまでの手順を、スマートフォンで一つずつ案内してほしい」でした。これを形にするため、ミナトは地域の高校の情報部に声をかけます。1〜2日ほどの短い期間に、チームで集中してソフトウェアやサービスを試作するイベントをハッカソンといいます。ハック(hack)とマラソンを合わせた言葉です。週末の2日間で、生地を冷凍庫から出す時刻から焼き上がりまでを通知する、小さなアプリの試作ができあがりました。

試作ができたら、確かめることが二つあります。一つめは、そのアイデアや技術が本当に実現できるのかです。本格的な開発やお金のかかる投資の前に、小さく試して実現できるかを確かめることをPoC(Proof of Concept:概念実証)といいます。研究室で選んだ株の生地を家庭の冷凍庫で1週間置き、家庭のオーブンで焼いて膨らむかを試すのが、こむぎ堂のPoCです。

二つめは、実現できたとして、それにお客さんや事業にとっての価値があるのかです。これを確かめることをPoV(Proof of Value:価値実証)といいます。膨らむ生地ができても、お客さんが1個300円を払ってくれなければ、事業としての価値はありません。ペルソナに近い常連さんに試してもらい、週末の朝に本当に使うか、値段に納得するかを聞くのがPoVです。

1-6技術の手に入れ方

研究室の先生から、進め方について二つの提案が届きました。「研究はこちらでお引き受けして、結果をお渡しする形でも。こむぎ堂さんと一緒に、店の厨房も使って進める形でも」。店長は電話を置いて首をかしげます。「頼むのと、一緒にやるのって、何が違うの」

必要な技術を手に入れる道は、大きく分けて二つあります。自分たちで作るか、外から得るかです。外から得る方法の代表が技術提携で、企業どうしが技術の開発や利用について協力関係を結ぶことをいいます。出資のような資本の関係を伴わない、契約だけの協力も含みます。こむぎ堂は、冷凍便を運ぶ配送会社と、輸送中に生地が崩れない箱を一緒に考える取り決めを結びました。

ここから基本情報!研究の進め方の違い

先生の二つの提案は、研究の進め方の違いです。自社の手で、自社の人と設備を使って進める研究を技術研究と呼ぶことがあります(シラバスでは委託研究や共同研究と並べて挙げられている語で、ここでは外の力を借りる研究と対になる、自前の研究として扱います)。契約を結んで、研究を外部の企業や研究機関に任せ、成果を受け取る形が委託研究です。複数の組織が共通のテーマについて、人や設備や費用を分け合って一緒に進める形が共同研究です。

進め方誰が研究するかこむぎ堂の場合
技術研究自社の人と設備で店長が厨房で、冷凍の時間や温度を変えて試し続ける
委託研究契約した外部の機関が研究室に株の選び出しを任せ、結果の報告を受け取る
共同研究複数の組織が分担して研究室が株を選び、店長が厨房で配合を試し、費用も分け合う

委託研究は自社の手間が少ない代わりに、ノウハウが自社に残りにくくなります。共同研究は手間がかかる代わりに、研究の途中で分かったことを自社の人も身につけられます。成果を誰の権利にするかは、どちらの場合も始める前に契約で決めておきます。

今回の研究のように、企業(産)と大学(学)が組み、国や自治体の研究機関や補助の制度(官)も加わって、研究開発や技術の実用化を進める取り組みを産学官連携といいます。先生は、市の産業振興の窓口が試作の費用の一部を補助する制度も教えてくれました。

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店長が選んだのは、研究室と人も費用も分け合い、店の厨房でも試す道でした。「酵母の機嫌は、うちの窯の前でしか分からないからね」。研究の答えだけを受け取るより、答えにたどり着くまでの試行錯誤を店に残すほうを取ったわけです。

ここから基本情報!技術を得る・渡す・広める

自社にない技術を、外部からの導入、他社との提携、技術を持つ会社の買収などの手段で取得することを、まとめて技術獲得といいます。冷凍便の箱の工夫を配送会社から教わるのも、小さな技術獲得です。

反対の向きもあります。自社の特許やノウハウを、契約によってほかの会社に提供し、使うことを認めることを技術供与といいます。提供した側は、対価としてライセンス料を受け取ることが多くあります。冷凍に強い酵母の育て方を、遠くの町のパン屋に有料で教える、という形がありえます。

さらに一歩進めて、自社の技術や規格を業界の標準にし、競争で有利な立場を得ようとする戦略を標準化戦略といいます。標準には、公的な標準化機関が定めるデジュールスタンダードと、市場で広く使われた結果として事実上の標準になったデファクトスタンダードがあります。自社の方式が標準になれば、ほかの会社がその方式に合わせて製品を作るので、関連する商品も売りやすくなります。

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1-7特許と知的財産

年が明けてすぐ、研究室で選んだ株と、凍らせる前に生地を短く寝かせる手順を組み合わせると、家庭の冷凍庫で1週間置いた生地がきれいに膨らみました。先生は言います。「この方法、特許にしておきますか」。同じ週、ミナトは大手メーカーが冷凍生地の作り方の特許をいくつも持っていると知りました。

新しい技術を特許にするかどうかは、それだけで一つの判断です。特許を取れば、決められた期間(原則として出願から20年)、その発明を独占して使えます。その一方で、出願した内容は原則として出願から1年6か月たつと公開され、ほかの会社にも読まれます。どの技術を特許にして守り、どれをノウハウとして店の中に隠しておくか、取った特許をどう使い、他社との交渉の材料にするかまでを決める方針を特許戦略といいます。

こむぎ堂には、守りたい工夫が一つではありません。株の選び方、寝かせの手順、崩れない箱の形。一つずつの特許はばらばらでも、組み合わせれば「天然酵母の冷凍生地」という事業全体を守れます。このように、個々の特許を事業の戦略に照らして組み合わせ、全体として管理し活用する考え方を特許ポートフォリオといいます。

心配なのは、大手の特許とぶつかる場合です。寝かせの手順が大手の特許の範囲に入っていれば、勝手には使えません。そのとき、互いに特許を持っていれば交換ができます。特許を持つ者どうしが、互いの特許を使うことを認め合う契約をクロスライセンスといいます。こむぎ堂が株の選び方で特許を取っておけば、大手が天然酵母に手を広げたくなったときに、その特許と交換で大手の特許を使わせてもらう道が開けます。

そもそも、どこでぶつかりそうかは、出願されている特許を調べれば見当がつきます。自社と他社の特許などの知的財産の情報を、市場の情報と合わせて分析し、経営や研究開発の戦略づくりに生かす手法をIPランドスケープといいます。冷凍生地の特許を出願した会社と、その技術の中身を表に並べてみると、ミナトにも分かりました。大手の特許は工場での急速冷凍に集中していて、天然酵母を家庭の冷凍庫で使う技術は、まだ手薄だったのです。

ここから基本情報!知的財産を持ち続けるための仕事

特許は、取ったら終わりではありません。権利を保つには毎年の特許料を納め続ける必要があり、ほかの会社がまねしていないかを調べ、反対に自社が他社の権利を侵していないかも確かめ続けます。特許だけでなく、店の名前「こむぎ堂」の商標や、通販サイトの写真や文章の著作権も含めて、知的財産を取得し、保護し、活用する活動全体を知的財産権管理(知財管理)といいます。どの権利をいつまで持ち続けるかを見直し、使っていない権利を手放してお金を浮かせることも、この仕事に入ります。

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1-8技術開発計画

3月、店長のノートは数字で埋まっていきました。冷凍生地を月に1,000個売るには、冷凍庫が何台要るのか。どこで作るのか。誰が作るのか。春からは、ミナトも週に2日、生地の係を受け持つことになっています。

戦略が決まったら、それを具体的な予定に落とし込みます。いつまでに、どこで、誰が、いくらかけて開発し、いつから作り始めるのか。経営の戦略や技術の戦略をもとに、こうした予定をまとめたものが技術開発計画です。

ここから基本情報!お金・場所・人の計画

店にある人、設備、お金、情報には限りがあります。それらを、効果がいちばん大きくなるように、事業や計画のあいだで振り分けることを経営資源の最適配分といいます。冷凍生地にお金を回せば、季節の焼き菓子の新作は1年待つことになります。その引き換えに納得できるかを決めるのが、配分の判断です。

技術開発計画は、配分の中身ごとに分けて立てます。開発にいつ、いくら投じるかを決めるのが技術開発投資計画です。どこで開発するか、研究所や開発の拠点をどこに置くかを決めるのが技術開発拠点計画で、こむぎ堂なら、研究室で続けるか、厨房の奥で進めるか、近くに作業場を借りるかの選択になります。そして、必要な人をどう確保し、育て、どこに配置するかを決めるのが人材計画です。ミナトが生地の係を受け持ち、朝の仕込みのためにパートの人を一人増やす、というのがこむぎ堂の人材計画でした。

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お金をかけるかどうかを決めるときに見るのが、投資対効果です。投じたお金に対して、どれだけの効果(利益など)が得られるかの度合いをいい、効果を投資額で割った値で表すことが多くあります。こむぎ堂の数字で計算してみます。

項目金額
投資額(冷凍庫2台と包装機)180万円
1個あたりの利益100円
1年間の利益(100円 × 月1,000個 × 12か月)120万円
1年目の投資対効果(120万円 ÷ 180万円)約0.67(約67%)

1年では投資額の約67%しか戻らず、180万円を取り戻すのは1年半後です。月に500個しか売れなければ、取り戻すのに3年かかります。投資対効果を先に計算しておくと、「何個売れれば、いつ元が取れるか」を、注文書に判を押す前に確かめられます。

開発の期間を縮める工夫もあります。生地の配合を決めてから箱を設計し、箱が決まってから通販のページを作る、と一つずつ順番に進めると、全部そろうまでに半年かかります。設計・試作・生産の準備などの工程を、関係者が情報を共有しながら同時に並行して進め、開発の期間を短くする手法をコンカレントエンジニアリングといいます。配合の詰めと、箱の設計と、通販ページ作りを同時に始めれば、配合が変わったときにすぐ箱の寸法を直せる体制さえあれば、期間はずっと短くなります。

ここから基本情報!量産の前と、量産のあと

いきなり月1,000個を作り始めると、思わぬ所でつまずきます。量産を始める前に、実際の工程で少ない数を作ってみて、製造の手順や品質の問題を洗い出すことをパイロット生産といいます。こむぎ堂が200個を試しに作ってみると、冷凍庫の扉を何度も開け閉めするせいで、奥の生地ほど凍るのが遅れることが分かりました。

作り慣れるほど、1個にかかる手間は減っていきます。経験を積むにつれて、1個あたりの作業時間やコストが下がっていく様子を表した曲線をラーニングカーブ(学習曲線)といいます。よく使われるのは、作った数の合計が2倍になるたびに、1個あたりの作業時間が一定の割合に下がる、というモデルです。その割合を80%と仮定して、こむぎ堂の数字で見てみます。

作った数の合計1個あたりの作業時間
100個5分
200個5分 × 0.8 = 4分
400個4分 × 0.8 = 3.2分
800個3.2分 × 0.8 = 2.56分

同じ「2倍」でも、100個から200個は早く届きますが、800個から1,600個までは長くかかります。作り始めは時間がどんどん縮み、やがて縮み方がゆるやかになるのは、このためです。

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手順そのものを見直して、無駄を減らす方法もあります。作業を細かい動作に分けて、それぞれの時間を測り、無駄な動きや待ちを見つけて、生産の効率を上げる手法をインダストリアルエンジニアリング(IE、生産工学)といいます。ミナトが生地を丸めて袋に詰めるまでの動きをスマートフォンで撮って見直すと、冷凍庫と作業台が離れているせいで、1個ごとに6歩往復していました。作業台を冷凍庫の横に移すだけで、その歩数はなくなります。

1-9技術予測とロードマップ

計画の数字がそろった夜、店長が言いました。「3年後には、冷凍のクロワッサンも全国に届けたいな」。ミナトは厨房の壁に模造紙を貼り、左端に「今」、右端に「3年後」と書きました。あいだに何を、いつ書き込めばいいのかは、まだ分かりません。

書き込む順番を考える前に、出発点を確かめます。技術開発の出発点は、技術そのものではなく、お客さんや市場が求めていることです。顧客や市場が製品やサービスに対して持つ要求を市場ニーズ(ニーズ)といいます。こむぎ堂に届いた「週末の朝に家で焼きたてを」「バターの香るクロワッサンも家で」という声が、こむぎ堂の市場ニーズです。

次に、技術が3年でどこまで進むかを見通します。将来の技術の動きや、ある技術がいつごろ実現しそうかを見通すための手法をまとめて技術予測手法と呼びます。代表的なものの一つがデルファイ法で、多くの専門家に同じ問いを尋ね、全体の集計結果を見せたうえで、もう一度答えてもらうことを繰り返して、意見をまとめていきます。文部科学省の科学技術・学術政策研究所が行っている科学技術予測調査でも、専門家へのデルファイ調査や、将来の社会の姿を描くシナリオといった手法が使われています。

見通しが立ったら、計画の組み立て方を選びます。今できることを積み上げて先を考えるやり方は、フォアキャスティングと呼ばれます。これに対し、将来のありたい姿を先に決め、そこから逆算して、今なにをすべきかを決める考え方をバックキャスティングといいます。「3年後に冷凍クロワッサンを全国へ」から逆算すると、2年目にはバターの多い生地の冷凍に挑む必要があり、そのためには1年目のうちに今の生地を安定して売れていなければならない、と順番が決まります。

こうして決めた技術や製品の開発の予定を、時間の軸に沿って並べた図が技術ロードマップ(ロードマップ)です。科学的な裏付けがあり、関係者が合意した将来の姿を、時間の順に描きます。壁の模造紙が、こむぎ堂の技術ロードマップになりました。ロードマップがあると、研究室の先生も、配送会社も、ミナトも、同じ1枚を見ながら、自分がいつ何をすればよいかを確かめられます。

ここから基本情報!ロードマップを段に分ける

ロードマップは、何を並べるかによって段を分けて描くことがあります。技術が将来、どの製品や用途に応用されていくかを時間の順に示したものを製品応用ロードマップといいます。こむぎ堂なら「1年目:冷凍の食パン生地、2年目:冷凍クロワッサン、3年目:ほかのパン屋向けの業務用生地」と並びます。

技術開発の進み方に合わせて、どの技術をいつ特許にするかを時間の順に示したものを特許取得ロードマップといいます。株の選び方は1年目に、バターの多い生地を凍らせる手順は2年目の試作が終わった時点で出願する、という具合です。出願した内容は公開されるので、出願の時期を製品を出す時期とそろえて考えます。

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横軸を年にしたロードマップの図。上の段に技術、中の段に製品、下の段に特許の予定が並び、右端の3年後の姿から左へ逆向きの矢印が引かれている
図:3年後の姿から逆算して予定を並べた、こむぎ堂のロードマップ

1-10これから広がる技術

模造紙の右端には、まだ余白がありました。相棒が提案します。「3年後に世の中で広がっていそうな技術も、書き込んでおく?」。配達はどうなっているのか。AIはどこまで店の仕事を手伝えるのか。ミナトは付箋を何枚か手に取りました。

まずAIです。いま使われているAIの多くは、決められた作業や分野に絞って働きます。パンの焼き色を写真から判定する、明日の売れる数を予測する、といった使い方です。このように、特定の作業に特化して働くAIを弱いAIといいます。これに対して、特定の作業に限らず、人間のように幅広い場面で考え、判断できるとされるAIを強いAIと呼びます。強いAIは考え方として語られる段階で、まだ実現していません。

AIの能力が人間の知能を超え、そこから先の技術や社会の変化が予測できなくなるとされる転換点をシンギュラリティ(技術的特異点)といいます。米国の発明家で未来学者のレイ・カーツワイルが、2005年の著書で2045年ごろに来ると予測したことで広く知られるようになりましたが、本当に来るのか、来るならいつかについては、意見が分かれています。

AIが予測に使うのは、大量のデータです。通販の注文、店頭のレジの記録、毎日の天気。こうした、量が多く、次々に生まれ、形もさまざまなデータをビッグデータと呼び、その特徴を、量(Volume)、発生の速さ(Velocity)、種類の多さ(Variety)の三つの頭文字をとって3Vと表します。雨の日にはクロワッサンより食パンが売れる、といった傾向も、こうしたデータを重ねると見えてきます。

配達の未来には、自動運転が関わります。自動運転は、運転をどこまでシステムが担うかによって、レベル0からレベル5までの段階に分けられています。このうちレベル3は条件付運転自動化と呼ばれ、高速道路の渋滞時のような限られた条件の中で、システムが運転の操作をすべて行います。ただし、システムから求められたときには、運転者がすぐに運転を代わらなければなりません。冷凍便のトラックがレベル3で走るようになっても、運転席の人はまだ要る、ということです。

厨房の中にも、新しい機器が入ってきます。腕時計のように手首に着けて使う機器をスマートウォッチといいます。スマートフォンの通知を表示したり、心拍数や歩数を測ったりできる、身に着けて使う機器(ウェアラブル端末)の代表です。粉だらけの手でスマートフォンを触らなくても、窯の焼き上がりや通販の注文を手首で受け取れます。

5月の連休明け、冷凍生地の最初の100個が通販に並びました。3日後、画面に「売り切れ」の文字が出ます。壁のロードマップの「1年目」の欄に、ミナトは赤い丸を一つ付けました。店長は粉のついた指でその先をなぞり、「研究と開発のあいだの川は渡れた。次は、月1,000個を作るための谷だな」と言って、冷凍庫の見積もりを広げます。

秋にミナトが相棒に聞いた「パンの研究と、店の商売って、どこでつながるんだろう」の答えは、壁の1枚の中にありました。冷凍に強い株を選ぶ研究(R&D)は、研究室と組むという技術の手に入れ方を経て、特許で守られ、投資対効果を計算した計画になり、3年後の姿から逆算したロードマップの上に並びました。つながりは一本ではなく、研究から売上までの段差を一つずつ越えるための判断の連なりでした。

ただ、最初の100個を買ってくれたのは、新作を必ず試す常連さんがほとんどです。冷凍のパンをまだ疑っているふつうのお客さんに、この生地は届くのか。店長が向き合う谷の向こうには、もう一つの溝が待っています。

この章のふりかえり

この章で太字にした用語は、暗記カードで覚えられます。

ITパスポートの範囲(38語)を暗記カードで覚える 基本情報まで(62語)を暗記カードで覚える

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